★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.7

◆今月の風 : 話題の提供は滝本加代さんです。

− 高額医療費について −

上位1%が、総金額の26%を占めている。また、上位10%で、その60%を占めている。そして、上位25%が、総金額の80%。なんのことだと思いますか?アメリカ国民の所得配分に似ていますね。下位75%が、残りの20%を分け合っている。
これは、国民総医療費に占める高額保険請求上位の割合と、その医療費の占める金額を表したものです。つまり、上位25%の高額医療費が、80%の医療費を使っているのです。では、高額医療費を費やす病気とは、どういう病気でしょう。すぐに思いつくのは、老人医療でしょう。違います。医学の進歩によって、終末医療に莫大な医療コストが投入されるようになったからです。一件あたり一千万、数百万の(一月にですよ!)レセプト(医療側から出される請求書)は、めずらしくないのです。ちなみにうちでは、一件あたり月数千円です。そして、残念ながら高額医療費を使った患者さんは、半数以上が数か月以内に亡くなっています。人は、死亡する数日間で医療費のほとんどを使うことになるのです。高い技術を要する手術の点数ではありません。延命に必要な点滴の薬や、人工呼吸器などの費用が大きいのです。みなさんは実感がないかもしれません。幸い高額療養費制度によって大半が還付されるからです。(4千万の医療費で46万円の負担)
しかし、保険財政が問題になっている今、終末医療で財政を圧迫するほどの医療費を使う意味について論議がされなくてはなりません。医療費を押し上げているのは、老人でも(誰でも老いれば病気になります)医者の高収入(だとすれば)でもありません。そして、超高額医療のレセプトは、大きな病院、大学から請求がなされています。
医療費の問題は、自分はどんな医療を受けたいのか、ということまで行き着きます。どこで死にたいのか。自宅より病院は高くつく。一分でも長く生きるように最善の医療を求めるのか。延命医療は高額医療の代表です。
また、限りなく進む医学をすべて保険でまかなうのか。心臓や肝臓の移植は保険になじむのか。(最先端医療は、保険とは、別枠の善意の寄付を集める財団を作って、臓器移植や最先端医療は、そこから費用を捻出するように出来ないか。)
さて、医療は福祉。福祉は弱い者のためにあるのです。それが、いま、お金持ちや強い者のための医療に変わりつつあります。医療費が膨れていく原因は老人だけではありません。病院が儲けているからではありません。半分の病院は赤字です。福祉なのに、税金を投入することなく、保険制度だけでやりくり(保険料の値上げ。報酬の値下げ)しようとすること事態間違っています。
ぼやけば切りがありません。このへんで、お終りにしましょう。ぽっくり旅立つことを祈りながら。医療費0円なり。



◆今月の隆眼−古磯隆生

− まちの中の四季・その1 −

まちはいろいろな要素で構成されますが、どんな環境を選ぶかはその人のライフスタイルと大いに関係するところです。私は現在三鷹市内で四季を感じるスポットを調査しています。これは公園などの拠点的なところではなく、ごくごく日常的な身の回りの環境の中に見出そうというのが狙いです。以前、このコーナーで五感による住環境との応答の必要性をお話しましたが、その活動の一環として休日市域を散策しています。日頃の行動範囲内や用あっての時以外は市域を散策するということはなかなか無かったのですが、実際に廻ってみるといろんな発見をします。
三鷹市は面積16.5k㎡、人口約16万5千人の東京近郊のベッドタウンといったところですが、住環境的な特徴の一つは市内に点在する“生産緑地”と称する農地の存在です。農地が徐々に宅地化された結果、住宅地の中に点在する現象になりました。今ではこの緑地が市域に貴重な緑を提供してくれることになっているのですが、年々相続等による宅地化が進んでおり、将来的には貴重な緑の供給源が市域から失われかねません。税制を含め居住環境に効果的な農地の利用の仕方や建物緑化等の検討が進められなければなりませんが、現状では有効な手立てが見い出せていません。居住環境をよくするには、〈生活者の居住環境や緑などに対する意識〉が不可欠の条件になりますが、そのような意識の醸成に必要なツールの提供が当面、設計行為とは別に一方でしなければならない私の仕事と思われます。
                          
皆さんお住まいの街の中の四季についてお便り下さい。