★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.4

◆今月の風 : 話題の提供は中尾哲則さん

− 風を食べる −

いささか古い話で恐縮だが、9年前に中国の青海省に行ったときのことだ。青海省は中国の西北。甘粛省四川省新疆ウイグル自治区チベット自治区に囲まれた地域で、面積は日本の2倍弱。黄河、長江も、もとをたどればここから流れ出ている。
この年、僕の所属する日中友好東京都民協会と相互交流をしている甘粛省青年聯合会の招きで蘭州を訪れ、第4回芸術祭の開幕式に出席することになっていた。ならば蘭州から近い青海省まで足を延ばし、中国最大といわれる塩湖の青海湖に行こう、鳥島にも行ってみようとなったわけだ。
青海省省都西寧の青海賓館で遅い昼食をとったあとタール寺を見学。ここはチベット仏教黄帽派創始者ツォン・カバ生誕の地に1506年に建てられた古い寺だが、あいにく改修工事の最中だった。土産物売り場で冬虫夏草を買ってホテルに戻る。
夕食後、薄暗くなった街へ数人で出かけて屋台を探すが、僕好みの雑踏のようなところはなく、小さい公園の中に初老の夫婦が店を出しているのを見つけた。
若いカップルが座ってジュースを飲んでいた。ビールも置いていたので、われわれもそこに座り込んだ。このあたりは海抜2200mで、真夏だったが肌寒く、生ぬるいビールがのどに心地よい。
みんなおしゃべりのうえに酒も入っているので、僕に通訳をしろと言う。
「ずっとこの商売をしているんですか?」
「いやー、二人とも定年退職して、働いていたときの給料の8割が年金として支給されるので、天気のいいとき、ここに店を出して、まあ小遣いかせぎのようなもの」
こんな会話から始まって、年金はいくら、何歳で定年、奥さんとはどこで知り合った、など皆さん思いつくままに質問を出す。これでは、にわか通訳はたまらない。皆に待ったをかけて、
「それぞれ勝手な質問をして、僕はへたくそな中国語で通訳しますので、もし失礼な質問があれば許してください。もちろん答えていただかなくてもけっこうです」
とことわった。どこから来たのかと問われたので、日本の東京からですと答えると、ご主人が言った。
「そうか、日本から来たのか。すると君たちは関東軍の子孫じゃないか。私は松花江の近くの生まれだ。松花江を知っているか?」
ドキッとした。松花江は中国の東北、黒竜江省を流れる大河だ。九・一八(柳条湖事件)を歌った「松花江のほとり」という歌を知っています、とかろうじて答えると、にこりとしながら張りのある大きな声で話を続ける。
「私の村にも関東軍が入ってきて、村人は周辺に追いやられ、彼らが真ん中に居座った。君たちはその関東軍の子孫だ。だから、いってみればわれわれは同郷人だ。同郷人が遠慮することはない。何を聞いても失礼なんてことはない」
天気のいい日、公園に屋台を出して小遣いかせぎをしているんだというおじいさんがこう言うのである。
共産党や市の幹部が言うのではない。定年退職して、小遣いかせぎに屋台を出しているという、いわば市井の人の口からこのような言葉がさらっと出てくるのである。
「一部の軍国主義者が悪いのであって、中国人民も日本人民も共通の被害者なのです」という説明は、日本の侵略についてこちらから話をしたときなどによく聞かされる。しかし、このおじいさんの言葉は、それを突き抜けていた。
なにか、中国人のもつ途方もない気長さ、自信といったものに圧倒される思いがした。

屋台での会話は続く。
「東北出身の人が、こんなに遠く離れた青海省なんかにどうしているんですか?」
「毛主席の呼びかけにこたえてやってきたんだ」

1950年代の終わりごろ、進んだ東北は遅れた西北の開発を支援しよう、という呼びかけがあり、多くの若者や技術者が東北地方から甘粛省青海省にやってきた。奥さんも大連から来て、こっちで結婚したそうで、「習慣が違うのではじめは戸惑ったけど、すぐに慣れました」と言う。
青海湖には行ったかと聞かれ、明日と答えると、「途中、日月山に行くといい」と言う。640年、唐の文成公主チベット王の妃に遣わされたとき、日月山を経てチベットに入った。当時、唐の版図はそこまでだったという。
さっき座っていた若いカップルは息子と婚約者だと、おじいさんがうれしそうに言うので、「恭喜! 恭喜!」とお祝いを述べ、明日の夜も来ることを約束してホテルに戻った。しかし、翌日は夕方から降り始め、青海湖から西寧に帰り着いたときは土砂降りになっていた。再会はあきらめざるをえなかった。
後年、マレーシアのマラッカに行った。案内してくれた華人のコーさんが教えてくれたマレーシア語が「マカン・アンギン」。風を食べる。旅をするという意味だという。
青海省で食べた風は、滋味あふれるもので、忘れがたい。        



◆今月の隆眼−古磯隆生

− 再び古民家について −

 前回の【古民家ブーム】に関して、民家の“移築"に対する難しい問題が提起されました。曰く『古民家の持つ「性能」や「資質」は、果たしてどのくらいの特異性?普遍性?を持ってその土地と結びついているのでしょうか?つまり、他の相当離れた、風土的に差のある地域に移築してもそれなりに「意味」を持ち続けられるのかな?という疑問です。』
 土着性の強い民家の建築形式が“処"を変え現代住宅としても意味をもち得るのか、という問いです。テレビで取り上げられた〈民家の移築分譲〉は売らんが為のもの珍しさもあるかも知れません。しかし、ちょっと表現は硬くなりますが《建築形式の意味の再発見、或いは再構築として意味をもち得る》面を見逃すわけにはいきません。それは古民家にいわゆる“保存対象"としての意味を見出そうという視点とは別に、“再使用の可能性"の有無を問う視点があるわけです。つまり、〈古民家の土地との個別的な結びつきの中にその建築形式の意味が存在するとする視点と、地域性から発した建築形式がその土地の呪縛性から解き放たれて一般性を獲得し得るとする視点〉の両面が存在し、かならずしも矛盾するものではないということです。古来、“移築"は様々に行われてきました。都度、新たな意味が付与されてきました。建物の機能・用途を変えるための改造も、古民家の住居形式を現代的に解釈し直して、新たな意味を付与しようという試みと同じ位相にあります。