★ Ryu の 目・Ⅱ ☆ no.1

◆今月の風:話題の提供は荒川賢一さん

―年賀状のことー 
昨年末、親しい友人が真剣な顔で「年賀状をつくる気がしない」と言いました。日本銀行のアンケート「生活調査」によると、暮らしが前年より「苦しくなった」と感じているのが49.9%、勤め先での雇用・処遇に不安との回答が83.3%です。暮らしにも経済にも将来が見えないのに「あけましておめでとう」はないだろうと。
しかし当面する不況が深刻なのは事実ですが、もっと心配なのがイラク、どうしても戦争に持ちこみたいブッシュ大統領と平和解決を望む国際世論とのせめぎあいです。友人の気持ちは良く分かりますが、戦争の危機から目をそむければあとで悔いだけが残ります。その事は戦中戦後の辛い歴史で体験ずみ。
「ま、年に一度のご無沙汰お詫びはね…」と友人は欠礼を思いとどまりました。そして私は「世論」にも参加すべく、今年の年賀には「大切なキーワードは平和」と書き始めました。戦争には勝者も敗者もない、真の勝者は平和を選択したものだ。

−「社会人間」になるとういうことー
ある日、電車に乗ると、いきなり前に座っていた女性から席を譲られた時のショックは忘れられません、それも数年前の事になります、時の流れの早い事。ビジネスを卒業してもう15年余、後期高齢者のお仲間に入ると急に「老い」という言葉が気になるようになりました。シングルだから余計そうなのかもしれません。よく、高齢者は家に引きこもりがちと言われますが、会社組織から解放され、地域の市民運動に関わるようになってから12年余、学ぶ事が多く、とにかく良く動き回るようになりました。炊事から始まる雑事を含め、地域の暮らしに根ざした活動の中で、会社人間が「社会人間」に脱皮できたと喜んでいます。
あるお医者さんが書いてました「明るく前向きに生きると免疫力が高まる」。市民運動は老いに負けない秘訣でもある事を証明したいもの。もうしばらくは、市民しょう!と覚悟しているところです。
                          

◆今月の隆眼−古磯隆生

国立市マンション訴訟に思う−
昨年12月に、東京都国立市の「大学通り」沿いに建設された高層マンションをめぐる訴訟で、地域住民らの長年の努力でつくられた街並みに「景観権」を認める画期的な判決が東京地裁で下されました。今後、高裁、最高裁へと争われていく問題と想像されますが、私共の仕事柄、大いに注目すべき出来事です。
すなわち、今回のケースを「極めてレアーなケース」と捉えるか、「これからのマンション建設のあり方を示唆したもの」として捉えるかで、全く別の方向に向かうからです。果たして、〈地域住民らの長年の努力でつくられた街並み〉が、市民社会がなかなか根付かない我が国の居住環境の中にどれほど存在するのでしょうか。その限りに置いては一般性を持ち得ていないように思われます。
しかし、明らかに時代が求めだした方向性は後者であると言えるでしょう。長く厳しいバブル崩壊後を経験する中で少しづつ価値観に変化の兆しが現れてきたという事でしょうか。住む〉と言うことはそれ自体が様々な関係の上に成立している以上、〈共に生活する〉発想に基づくのはけだし当然です。しかし、現在進行形のまち造りの現実は圧倒的にディベロッパーの“意志”によって進んでいるようです。哀しいかな設計者(建築家)がこの“意志”に背いた提案をすることが現実的に意味を持ち得ない関係にある以上、やはり、まち造りの構造を変えていく“意識転換”…居住環境を大切にすることが重要であるとの認識が生活の中で培われていく…が根付くことが必要とされてきたと思われます。
それにしても道は険しく長い…。