★ Ryu の 目 ☆ no.6

◆今月の隆眼 = 塀の意味 =

塀は敷地境界上に設けるのが一般的のようです。ここまでは私の敷地ですという所有権の表明として、また、不可侵の表示としてサインを送り出します。勿論、防犯・安全の確保の為でもあるでしょう。しかし、所有域を問題にするのであれば塀の有無にかかわらず、境界が確定さえしていれば侵されることは普通はありませんし、塀が何処にあろうと所有面積が変わる訳でもありません。そこで違った角度、つまり設計者から見ますと、所有権を示す仕切としてではなく居住に快適な空間を獲得するための壁としての意味をもっています。同時に、通りや街並みへの表情づくりの対象として存在します。つまり、塀は敷地境界線上にあることを必ずしも意味してはいません。例えば、竜安寺の庭を思い出してみて下さい。あの石庭を取り囲んでいる塀は法的な敷地境界の塀ではありません。枯山水の石庭を演出し、本堂と庭を一体的に感じさせる仕掛けとしてはたらく塀です。一方、建物は住宅であれ何であれ、どんな敷地に建てるにしろ、ひとたび建ち上がると否応なく‘社会性’を纏うことになります。ですから社会の構成員としての対応が求められるわけで、自分さえよければいいというものではありません。そこに街並みづくりとしての役割が発生します。昔の人は特に体裁を重んじました。そんなに見栄を張らなくてもと感じることもありますが、この体裁を整える(気にする)精神は街並みづくりに取っては大変重要な‘心がけ’に転化されていたように思います。
通りに面して塀を設ける場合でも少し退いて建てるとか、植栽するとか、何がしかの工夫をすれば道行く人の目を楽しませることが出来ます。


◆通りすがり = すき間を活かす =

<塀の意味>の続編版としてお読みいただければと思います。
隣地との境界に設けられた塀は、建物同士が接近していればいるほど、通行の邪魔になる存在となります。或いは、デッドスペース(役に立たない空間)になるケースが多い。民法的には50センチメートルの空きが必要とのことで、特に街中の建て込んだところに見受けらる現象です。隣同士で話し合って了解できれば、境界線さえ明示されていれば、何も塀を作る必要もないのではと思われます。むしろ、無ければ50プラス50で1メートルの空間が出現することになり、日常の通路、避難時の通路として使えます。コミュニティが崩壊した今の社会ですが、了解し合う契機にならないものでしょうか。京都の町屋形式の建物などそれこそ壁一枚で接してるわけですからとても合理的で、故に坪庭や光庭を設けた意味が明瞭に伝わります。
建物の立ち並ぶ街並みの中にあって、“すき間”は使いようによって通りに表情を与えてくれます。すき間に残った立木、抜ける見通しなど。嘗て、丹後半島の伊根という漁村集落を調査したことがあります。海に面して海岸線沿いにぎっしり建物(船小屋…船のガレージ)が建ち並んでいますが、曲がりくねった道を歩いていて時折建物のすき間から垣間見えた海がとても心地よく、印象的でした。