★ Ryu の 目 ☆ no.2

◆今月の隆眼 =アプローチ=

私と“アプローチ”の最初の出会いは、今から37年前になります。受験に失敗し少々悩んでいたときのこと。友人が三島の龍沢寺(臨済宗の禅寺)で数日を過ごしてみればと勧めてくれたのが契機です。修行の厳しい寺と聞いていましたので、不安な気持ちを抱えて山門をくぐりました。庫裡まで15分程歩いたでしょうか、その間、何度も、引き返そうか、いや行ってみようと自問自答していました。曲がりくねった山道は樹々に囲まれ、坂は時に緩やかに、時に険しく迫ってきます。うつむき加減な私に、ときおり開ける田畑の視界が力を与えてくれたように思います。

━ 視界・空間の変化と自問自答 ━

まさにこれこそが宗教空間におけるアプローチと言っていいでしょう。2回目の出会いは、京都・大徳寺・高桐院でした。このアプローチは四季の変化、視界の変化、空間の変化を巧みに扱った絶妙の空間を構成しています(詳しくは、当方のホームページのkoiso’room −私の大好きな建物シリーズ −をご覧下さい)。

アプローチは通路や導入路あるいは参道のことを指しますが、社会とプライベートな空間との緩衝空間として位置づけることができます。住宅で考えてみますと、門から玄関までの空間です。仕事や買い物などから帰宅した時、外の世界の喧噪を払う、あるいは、安堵し、気分を切り替える場所として意味を持ち、時に、瞬時と雖も自己と対話をする空間にもなります。共同住宅ですと通りからドアまでの共用通路の部分が相当しますが、欲を言えば、通路とドアの間にクッションとなる仕掛けがほしいところです。ドア前の鉢植えなどもその現れのひとつと言えなくもないでしょう。
つまり、戸建て住宅であれ、集合住宅であれ、アプローチのような社会とのクッションとなる空間には気分などの変換装置としての機能を持たせたいところですから、スペースの大小に応じて、効果的にしつらえる必要があります。それは住まいに奥行きを感じさせることにもなりますし、また、社会への自分の顔でもあるわけです。


◆通りすがり

「緑で公害から町がよみがえるまで − 宇部市緑化二十年の記録」これは30年前に書かれた私の生まれ故郷、山口県宇部市での記録書(絶版)です。著者は上田芳江・山崎盛司の共著です。上田芳江さんは宇部在住の主婦でした。この本の第一章の一節に

「空気はタールの匂いがしみこんでいます。その空気を吸う市民の吐く息は石炭の臭いがするのです。体からは黒い汗がにじみ出ます。ワイシャツは黒い油で汚れます。そして、町には昼夜の区別なく灰(燃焼しきらない石炭の灰)が降り続けるのでした。」

昭和20年代後半、石炭の町・化学工業都市としての宇部の姿です。イギリスのマンチェスターを越す世界第一位の降灰量であったとも…。そして、環境の荒廃した町では眼病と少年の非行が増え続けました。ここから、わが子を想う主婦が立ち上がりました。“女性の目”は〈花いっぱい運動〉、〈緑化運動の展開〉へと向かいます。他の一節に

「人間形成の最後の仕上げをするものは環境であるというわかりきったことがらを、私たちは忘れがちだった…」

とあります。今、宇部は「緑と花と彫刻のまち」として、1997年。国連環境計画(UNEP)より〈グローバル500賞〉を受賞するまでに至りました。時代あるいは状況が異なるとはいえ、われわれの居住環境を考えるとき、

「人間形成の最後の仕上げをするものは環境である…」

の下りは深くこころに刻まれる思いがします。