★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.168

師走です。今年も残り3週間。
毎年のことですが、一年が早い!!

今年は紅葉を楽しむ機会があまり取れませんでしたが、唯一東京に行く途中で立ち寄った「猿橋」の紅葉は素敵でした(写真貼付)
注:猿橋大月市にある桂川に架かる刎橋(はねばし:木造)。
      江戸時代の「日本三奇橋」の一つ。

今年もいろんな事のあった一年でした。
3.11の復興もままならない中、熊本の大地震
原発に対する不安は払拭されないまま。

来年もよろしくお願いします。
では《Ryuの目・Ⅱ−no.168》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫惠吉さんです。

ウディ・ガスリー『我が祖国』−

私は4月号の記事「豆農家の大革命」で、カントリー歌手だった作者が、アメリカ農業の現実を美化して歌っていることに気づき、本当のことを言うために有機栽培農家の実地調査を始めた、と書いた。
カントリーソングやフォークソングの源流には、トピカルソングまたはプロテストソングといわれる農場や炭鉱、工場の歌がある。大恐慌時代(そして大砂塵の時代)、美化するにはあまりに厳しい現実の中で始まった「フォークソング復興運動」では、20世紀初頭から続く悲惨な境遇に呻吟する民衆の歌が主流だった。しかし、厄介なことに、そうして作られた歌でさえ、作者が最も訴えたかった節を(時には作者自身が)省くことによって単純な「アメリカ賛歌」とも聞こえるように変わってしまうことがある。歌は出版社や放送局の助けがないと広まらないし、歌手も生きていかなければならない。だが、封印したからと言って、民衆の境遇や、農場や工場の休憩時間に、棍棒や銃を持った農場主や工場主に雇われた暴漢から身を守りながら歌い綴られたのだ、という事実は決して消えはしない。
有名なウディ・ガスリーの『我が祖国』(This Land is Your Land)は「第二のアメリカ国歌」とまで言われている。2009年1月18日、オバマ大統領就任記念コンサートがリンカーン記念堂で行われ、今は亡き ( 2014.2月死去 ) 伝説的フォークシンガー、ピート・シーガーブルース・スプリングスティーンらを率い、この歌で締めくくった。
1940年代の「フォークソング復興運動」の旗手であり「人民の詩人」ウディ・ガスリーの盟友でもあったピート・シーガーは、それまで物議をかもすという理由で封印されてきた二つの節をこの場で歌い、人々に大きな衝撃を与えたのだった。
「日曜日の朝、教会の尖塔の影の中に/救済事務所の前にパンを求める行列(bread lines)があった/彼らは飢えていた/彼らはいぶかっていた/この国はあんたたちと俺のために作られたのか?って」 もう一つは、「“私有地”(private property)と書かれた看板を見つけた。でも反対側には何も書かれていなかった。そちら側は君と僕のためのもの!」この歌が、アメリカという国の全てを肯定的に捉えているかのような、単純な「賛歌」ではなかったことがわかる。
ブッシュ政権時代、アメリカにおける所得格差は過去に例を見ないほど拡がっていた。新たに生み出された富のほぼ全てが上位10パーセントへ直行し、大部分が上位0.1パーセントのものになっていた。他方3,600万人(2005年の
統計)が貧困線以下で暮らしていた。ブッシュは「反テロ戦争」を通して「現代史上最も軍事化された外交政策マシン」を磨き上げ、国内では「恐怖の文化」を意図的に作り、絶え間のない国家的洗脳を続け、アメリカの民主主義に大きな痛手を与えてきたのだった。
「Change!」の要求はかつてないほど高まっていた。「封印」が解かれたのには理由があったのだ。しかしオバマは「Change!」のスローガンそのものをchangeしてしまった。そうして、変わらないどころかもっとひどくしてしまった。
ブッシュの不法侵害から憲法を守る、という選挙公約は反故にされ、「国家機密特権」を繰り返し発動し、拷問や特別拘置引き渡し、国家安全保障局による違法な盗聴に関わる訴訟を停止させた。頓挫したブッシュ戦略を引継いだだけでなく、不器用なブッシュ政権には夢見ることしかできなかったような形でそれを推し進めたのだ。
オバマは、膨大な財政赤字を抱えているまさにその時に、アメリカの最富裕層に対する減税措置(「ブッシュ減税」)を延長するだけでなく、ひどいことに最も弱い人々にとってなくてはならない社会的プログラムを削減したのだった。
格差はさらに拡大し(貧困線以下で暮らす人は2010年の4,620万人から増大し続けている)、 怒りが沸騰したのは当然だ。 「ウオール街占拠運動」やそれに賛同する抗議の波が1930年代以来見られなかった形で全国を席巻した。

トランプが大統領選を制することを多くの人が予想していなかったかもしれないが、民衆の多くは誰もヒラリー・クリントンに期待していなかったことだけははっきりしていた。「混迷するアメリカ」には根拠がある。
かつて(1947年)アメリカとメキシコの間で次のような政府間協定があった。アメリカから強制退去処分を受けたことのあるメキシコ人「不法就労者」も、一時的な短期の労働者としてならアメリカへの入国許可が下りるというものだ。
カリフォルニアの果樹園や農場などで、収穫時期の季節労働者(例えば“Orange Pickers”)をメキシコから調達できるようにするためだ。この協定によって、まず農場主が雇用期間が過ぎてしまったメキシコ人労働者を当局に
不法滞在者として通報し、次に当局が国外退去処分にして国境のメキシコ側に送還する。翌年になって、同じ農場主が再び同じ労働者と短期の就労契約を結び直し、安価な労働力を繰り返し確保できる、という仕掛けができあがったのだ。
「壁」でも「フェンス」でもない、国と国が談合して非人間的労働が繰り返されていく。その破綻は悲劇として弱い人々を襲う。1948年1月、メキシコ人「不法滞在者(Deportee)」を国境に移送する州当局の飛行機が墜落し28人が
命を落とした。
ウディ・ガスリーはこの惨事を詩に綴り、ピート・シーガーがステージで歌った。「Deportee(Plane Wreck At Los Gatos)」(「追われし人(ロス・ガトスの飛行機事故)」)
シスコ・ヒューストンからブルース・スプリングスティーンまで、そしてボブ・ディラン、ブラザース・フォー、ジョーン・バエズ、ジュディ・コリンズ、ピーター・ポール&マリーなど多くの歌手がこの曲を歌い、着実にアメリカで歌い継がれている曲の1つになっている。(何故かCDでは入手できない。デジタル音源ではダウンロード可能)
歴史は繰り返す、と言うより、「先にあったことは、また後にもある。先になされたことは、また後にもなされる。日の下には新しいものは何もない。」(旧約聖書「伝道の書」)と言うのが的確だ。 トランプは不動産で財をなした。
今度は「農場主」兼「国の統領」だからいったいどんなことになるのだろうか? (終り)


◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/
   Ryuの目ライブラリー:http://d.hatena.ne.jp/vivant/

−個展顛末記・その2−

個展の開場時間は朝11時から夕方の5時までの6時間です。
10月14日(金曜日)個展初日、朝10時半に会場に到着。ギャラリーのオーナーの計らいで、会場は既に開けられており、埼玉県に住む同級生夫妻が早々と来ていて絵を鑑賞中、我々を出迎えてくれました。さあ、宇部個展の始まりだ!!前日届いた友人達からのお花や、開場とともに届いた東京の仕事仲間からのお花が個展の雰囲気を盛り上げてくれます。程なく、横浜からUターンの同級生夫妻も来場。11時には地元宇部の方々も見え始め、出足はまずまず順調といったところ。その中に、前回の個展で5,60年振りに会った、4,5歳の頃二人でよく遊んでいた隣のお米屋の“たかちゃん”が奥さんを連れて顔を見に駆けつけてくれました。元気そうだ。いとこ達も隣の山口市や九州の小倉から観に来てくれ、顔を会わすのは久し振りで、お互いに元気そうで何よりといったところ。高校時代の先輩や後輩も続々と。ありがたい。
午後には、自分で織り、染めもしてパッチワークをしているという女性が、この展覧会をポスターで知り、待ち遠しかったと言って作品に見入ってくれました。パステルとは思えないメリハリがあり、素晴らしいととても感動の様子。
他にも、私よりも年長と思われる絵を描かれる女性が、初めて見るようなパステル画で素晴らしいとの評価をいただきました。皆さんに楽しんでいただいて嬉しい限りです。
今年の7月10日発信号のRyuの目の「Ryu ギャラリー」で紹介した「遊 ingreen」の作品に、観ていると浮遊したくなると感想を述べてくれたKさん。Kさんの顔を見ると、この2回目の個展開催にあたってのある感慨が胸をよぎります。一昨年の初めての宇部個展で知り合うことになり、その後、昨年の6月発信のRyuの目で「人生観」の表題で紹介することになった先輩女性画家が、この個展を目前にした9月に急逝されたことです。今年の桜の時期に、樹齢二千年の神代桜を観にKさんと山梨に来てくれました。私の2回目の個展をとても楽しみにして下さっていました。残念でなりません。
初日は平日でしたが30名ほどの方が観に来て下さいました。
さて、夜の部が賑やかに始まります。明日は高校時代の「古希の同期会」が予定されており、関東や関西からも同級生が故郷に帰ってきます。夕方までには宿泊先である同級生のゲストハウスにも10名近い同級生がやって来て、一挙に賑やかになり、一段と盛り上がった酒盛りの始まりです。

2日目(土曜日)は、下関から行動美術会員の勝原さんもご夫妻で来られ、作品群に、“とてもいいですね、特に「大地の目覚め/香具夜」は深みがありいいですねー”との感想。
「古希の同期会」に参加する同期生達、親戚や後輩、個展を楽しみにしてくれてた知り合い、前回観に来て下さった地元の方々が続々と顔を出してくれました。ギャラリーの一角にある座敷では話に花が咲いています。お茶出しをしてくれてる妻も、夫の宇部の知合い達の話に面白そうに耳を傾けています。どんな話がされてたやら。
夕方5時にはギャラリーを閉め、古希同期会会場のホテルへ。懐かしい顔が次々に現れます。気分は既に高揚。会場のホテルでこの日の地元新聞(宇部日報)の二面トップに個展が紹介されているのを知りました。搬入の日に取材を受けましたが、素敵な記事で紹介していただきありがたい思い。(写真貼付)同期会の三次会は投宿先のゲストハウス。深夜遅くまで盛り上がりました。

3日目は日曜日。山梨を出て6日目となり、家族はこの日の朝、山梨へ向けて車で帰途につきました。この日の内に白州に帰る予定で、ハードな一日になりそう。留守番をしている2匹の猫のことも気になるところ。
前日の同期会に参加した面々が朝から来場。お茶出しも手伝ってもらい、開場から賑やかな雰囲気に。地元の方々も朝から見え始める。
午後には、四歳の時にワインで呑み潰れた相棒の飲み友達も顔を見せてくれました。2014年1月発信のRyuの目「私の酒歴/ワインの思い出」に書いた淡いワインの思い出話に登場する一歳年上の友達です。個展案内葉書が返ってきていたので心配していたのですが、“お米屋のたかちゃん”が連絡を取ってくれたようです。故郷個展ならではです。
昨日に続き、40名近い人が観に来て下さった。夜の宴、6日目に突入。

4日目(月曜日)。倉敷から宇部に入る途中にお墓参りで立ち寄った光市から、亡くなったいとこの奥さんが高齢の母親を連れて観に来てくれました。お母さんもお元気そうで、会えるのを楽しみにして来て下さいました。こんな機会でもないとなかなか会えない。
昼前には日本画家で、重要文化財復元の第一人者と言われている馬場良治さんが見えました。一昨年の初個展の折に、友人の紹介で知り合い、アトリエにお邪魔しました。出発間際まで描いていた20号ほどの「大地の目覚め」にじっと見入っていました。この日は期間中一番少ない来館者で十数名、静かな一日となり、久し振りにのんびり。

5日目。11時前には様々に店を展開してる同級生が来て、お店に飾る絵を求めてくれました。この日は初めての方や、前回観に来て下さった方々が多く見えました。昼前には行動美術の堀研さんが奥さんと見えました。行動巡回展で大阪に行っていたとのことで、会場に入るなり大声で“おめでとうございます”と、日本酒を渡されました。待っていた内の一人で、“やっと見えましたね”と返答。じーっと無言で絵を観て廻ってました。そこに展示されてる絵に対峙する画家の緊張感を感じ取りました。前回は初めての個展だったこともあり大変励ましてもらいましたが、今回は無言で観入る姿に返答をもらったように思います。
しばらくして、光市から行動美術会員の清水さんも見え、好評価。開催の挨拶文に書いた「日常の見えてる事象の背後或いはその向こうにある世界をイメージする」に、私も同じ意識で描いてると、意気投合。(挨拶文貼付) この日は、萩市の行動会員のお弟子さん達も見え、いい展覧会だと好評でした。

6日目。
昼前に、素敵な差し入れが届きました。宇部で評判の割烹「明徳」さんから、お昼にどうぞと巻きずしが差し入れられました。これにはニンマリ!ギャラリーのオーナーにもお裾分け。関係者一同みなさん顔がニヤニヤ、大満足しました。
この日も同級生、姉の友人達、美術部の先輩後輩、地元の方々30名ほどが見えました。図らずも美術部員だった頃の3つの学年が顔を会わすことになりました。すぐには思い出せない風もありましたが、やがて和やかに。後輩からは、自分の作った茶碗をプレゼントされました。閉館近くになって、新聞を見て是非観たいと思い駆けつけてくれた方もいました。夜は「明徳」へ。

7日目(木曜日)。最終日です。さあ、今日一日だ!10時半にギャラリーに入る。
この日も楽しい一日になりました。中学時代のクラスメイトだった女性が自作の無精米のお米を持って駆けつけてくれました。県内で農林業推進の仕事をしているということで、同年齢の仲間として元気で頑張ってる姿に勇気づけらる思いです。同じ中学の同級生の女性が3日に渡ってオリジナルブレンドのコーヒーを点ててわざわざ持参してくれました。お茶出しを手伝ってくれた小学からの同級生の友達と言うこともあって、厭わずに通ってくれたのですが、観に来てくれた方々も美味しいコーヒーに満足げでした。小学校、中学校、高校の友達達がいろいろと力を貸してくれます。
この日は第一美術関係の方々が多く見えました。宇部には第一美術の方が多いようで、みなさん珍しいパステル画と称賛。
最終日は平日にもかかわらず沢山の方が観に来てくれました。
4時閉館の予定でしたが、ギャラリーに電話が入り、是非観たいのだが4時過ぎてしまうとの申し出があり、その方の来場を待つことにしました。片付けを手伝ってもらえる同級生や先輩は4時前から会場にスタンバイ。そこに遅れて観に来られた方々で最後の賑わい!それでも30分遅れで閉館する事になり、その後は総勢9名で片付けに。
前回は、父の部下だったという90歳を越えたお婆ちゃんが新聞を見て駆けつけてくれたました。今回も個展案内葉書を差し上げていたので、またお会い出来るかなと最後まで楽しみにしていたのですが、残念ながら見えませんでした。
具合でも悪くなられたかな?
2時間程かかって片付け終わる。
7日間に渡った2回目の故郷個展は終了。終了打ち上げは高校時代の美術部の先輩達と。瀬戸内海の魚で舌鼓。

終わってみればあっという間の7日間でしたが、やはり疲れました。でも、今回も様々な出会いがあり、連日連夜の楽しい宴あり、ありがたい時間でした。
更なる表現を求めての再起動のエネルギーをタップリもらった日々でした。

翌日は、午前中に山梨に向けた搬出を終え、新聞社にも掲載のお礼に伺い、午後は作品を求めて下さった方々に絵を届け、夕方はゲストハウスを提供していただき、滞在中はずーっとお世話になりっぱなしの友人夫妻とホテルで食事をし、宇部滞在打ち上げでカラオケへ。歌いまくりました!!
11日間続いた宴会も終わり。よく頑張った!!楽しかった!!
THE END !


◆今月の山中事情128回−榎本久・宇ぜん亭主

−不作−

今年買ったさつま芋、じゃが芋、かぼちゃがどういう訳かことごとくはずれに当たった。ぽくぽくの代名詞のこれらが、べちょべちょ、がりがりの物ばかりだったのだ。これは気候のせいかなと単純に思ったが、それでも合点が行かないでいた。
べちょべちょ、がりがり状態では料理をする意欲は薄れる。ぽくぽくならそれだけでおいしいので何もする必要はない。むしろべちょべちょをどうするかが料理人だろ?と言われれば身もフタもない。しかし、それらはぽくぽくが原則と決め込んでいるので、想定外のこととして、ここは逃げよう。
それでは品種が原因なのかと思ったのだが、「ぽくぽく」だの「ほっこり」だのと銘打って売ってるので疑わずして手を出した次第だ。仕方ないのでさつま芋は蒸し終わったあと「ほし芋」に何度かしたが、三、四日経っても水分が抜けず、カビも生えたこともあった。かぼちゃは水っぽい品種がある。型で解るので、それは買っていない。しかしそれ以外はわからない。ある店では生産者が並べていて直に買った。「熟成しているのでおいしいですよ」と言うのでいただいたのだが、がりがりだった。そっれでもスープにしたが、微少の粒が舌に残った。じゃが芋は蒸した時がりがり感が残っているものはなるべく薄く切って、つぶしたものと合わせてポテトサラダとなった。
誰しもほっこりしたそれらを食べたいと思う。ねっとりという食感ならまだしも、びちょびちょやがりがりは望まないだろう。他者に聞けば、ぽくぽくだったという人はそれなりにいた。結局前述のごとく、やはり気候のせいかなと思ったり、運が悪かったのだと思ったりして、心を納めるしかない。私にとっては不作の年だったと割り切ることにするが、柿が今年やたら実をつけ、枝がしなっているのをあちこちで目にした。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「大地の目覚め/重奏」です。
  サイズはF130号(162cm×194cm)です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。