★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.145

新年明けましておめでとうございます。
今年も〈 Ryuの目 〉を宜しくお願いします。

年明けから大雪情報。
今年も異変の一年になるのでしょうか。
年末の選挙は与党圧勝。野党の無力感。
やり放題の安部政権に不安がつのります。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.145》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−華・花−

そこには美しい野生の草花が生い茂り、背丈のある樹木らしいものはない原野である。朝日に輝く花の周りには、蜜を吸いに集まる虫が飛び交っている。
草花や虫から目を遠くへ移していくといつの間にか森の中へと吸い込まれていっている。花の蜜を貪りながら実を結実させる虫の中でも、花と見間違えるほど美しい蝶は、舞う花といえる。花には派手なものとむしろ地味を得意とするものなど色々あるが、舞う花のごとき蝶たちにも華(はな)がある。私は蝶のような華のある花がすきだ。必ずしも派手でなくてもよい。だから蝶は好きなのだ。
花の蜜を採集して大家族を養う蜜蜂はどこか蟻に似ている。怖そうな顔もよく観ると愛嬌があり、親しみが沸いて来る。特に蜜蜂が花弁の中にいるときには花の一部になったようで華麗でさえある。しかし私には、蜂アレルギーがあり、「次の蜜蜂の一撃で命が危ない」と医者にいわれている。エピピンなる注射器の親玉のようなものを常に身に付けているように命じられた。余り華のある話ではないが、自然の摂理と命を共有しているような気持ちにさせられ、まんざえらでもない。特に山の中などを走っているときに蜂に遭遇すると、直感的に避けるようになっているが、最近になって蜂はチャレンジしない限り安全である、と分かってきた。蜂も一度刺すと自分の命を賭ける事になるらしい。お互いに命がけである。無駄なチャレンジはしないに限る。
さて、動く花の蝶に話を戻すと、蝶にも多くの天敵がいるらしいが、花の蜜を貪っている時が一番安全らしい。あの美しさが同色背後的自己防衛の効果をもたらしているのだろう。道理で飛ぶ時の上下前後左右に揺れ方は、ただ事とは思えないあわただしさがある。天敵から身を守っているのだろう。しかもあの動きは、花びらが落ちるときの揺れ方とよく似ている。よく観察すると、いつも同じように揺れているのではない。空気中を滑降したり直角に曲がったり上下と左右の揺さぶりを同時に行ったり、それそれ目的に合った飛び方をしているのようだ。花は蕾の時から満開になって散り終わるまで、全てに趣がある。
蝶も毛虫から繭になり、孵化して突然蝶が誕生するその変遷は、どこか花の変遷と似ていて、私の目には自然の奇跡と映ってしまう。この不思議はアリストテレスにも理解できなかったらしい。
美しいと言う価値感は、人間だけの価値感と思いがちだが、蝶も持っている気がしてならない。あの煌びやかで繊細なデザイン感覚は、蝶の生存、特に価値ある生存と無関係ではないと信じたい。自然の摂理にはそれぞれ目的があると解釈している。美人で派手好きは女性は、そのような人生を送るだろうし、蝶のように派手な模様を纏っている生き物は、派手な一生を送ると決められているに違いない。どうだろう。メキシコから花の蜜を吸い上げながらカナダまで旅して、恋に落ちて子を成し、また南部へ帰郷する。何と壮大で派手な一生ではないか。蝶は普通2年ぐらい生きるそうだ。80歳まで生きる人間に、この壮大さと派手さは望めるだろうか。「青年よ、大志を抱け」とはクラーク博士の名言を名訳したものだが、蝶の一生は、この名言をそのまま実行しているような気がしてならない。「若者よ恋をしろ、そうすりゃ希望も湧いてくる」。これも似たような内容の若者を鼓舞する文句であるが、蝶の一生を表現しているようにも思えてくる。
花と華は、若者を叱咤激励して「大志」と「希望」を抱かせてくれ言葉として私には映る。司馬遼太郎の小説の題のつけ方も、末広がりの明るい未来を呼び寄せてくれる。「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」などは、明治維新前後の日本の全体を若者思考で眺めて、「大志」と「希望」を抱かせるように書いた小説である。史実に忠実か、と言う疑問は愚な考え方であろう。しかし一度NHKなどで大河ドラマとして取り上げられると、視聴者は歴史的事実と混同してしまうようだ。NHK自身の誇りと威信を賭けて、作家の姿勢を解説すべきだ、と私なら考える。そうすればNHKの社会的立場を鮮明にすることになり、「大志」と「希望」、「花」と「華」をドラマの筋と重ね合わせる機会をも与えてくれるはずだ。
私は以上のような前向きの考え方を「蝶的思考」と名付ける。華もあり同時に不安定でしかも儚さを内包している日本の文化を表現しているようにさえ思えてならない。私は何時頃からか、蝶に興味を持ち始め、これを主題に多くの絵を描いてきた。自分の気持を蝶の気持に重ね合わせながら絵にしてきたが、物悲しい「秋」に寄せる日本人の気持は、特に菊や椿の「華」と枯れ際の「物悲しさ」は、新春の梅や桜に劣らず、日本的でさえあると思えてくる。
華ー蝶ー悲ー秋ー枯 と漢字を並べていくと、直ぐにシューベルトショパンを連想してしまう。文化の国際性であろうか。これは次回に考えてみたい。
2014年11月9日 午前中に20キロ走って、午後はうつらうつらしながら本稿を書いた
76歳になって3日目、岸本雄二




◆今月の隆眼−古磯隆生
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−初個展・顛末記2−

前回は、山梨出発から個展開催前夜までの話をしました。さて、いよいよ個展の開催、その7日間です。

11月10日(月曜日)。個展初日。
前夜の楽しかった高校美術部先輩達との宴の余韻を少し残したまま個展会場に向かう準備をしていると、10時前にいきなりギャラリーのオーナーから電話が入りました。「既にお客さんが見えていて、お待ちです…」。展示時間は11時から(17時迄)なので、その30分前に会場に入る予定でいましたから、慌てて会場に。
会場に着くと、オーナーの計らいで、既に会場は開けられており、隣の山口市から見えたお客さんが絵を見て回っていました。程なく、他のお客さんも見え始め、まずは、ホッ!出だしは順調の様。何しろ、幼稚園、小学校、中学校、高校の友人達が事前に宣伝をしてくれていた様だし、新聞の事前報道も効いた様です。地元の愛好家、美術関係の方々、友人、同級生、先輩、後輩、親戚…市内だけでなく、遠くの市からも、絶え間なく観る人が続き、話も弾んでいきます。画家との“表現”についての話は専門バカ的になって面白い。懐かしい人との絵を離れて“玉ねぎ作りの難しさ”の話、等々内容は様々。故郷個展の雰囲気充満。前日に続いてお祝いの花も届き始めました。
お昼過ぎには、事前に個展を紹介してくれた地元宇部日報の若い女性記者が直接の取材に来てくれました。素敵な紹介記事にお礼を伝え、取材が始まります。絵を再開したきっかけ、絵のテーマなど様々な話をしました。途中、次第に話が脱線して行き、大学での建築授業の話や建築の話へ。取材を越えた会話が楽しめました。
来られた方々から絵の印象を聞くのは、本人にとっては大変興味深く楽しい。絵を楽しんでもらえるありがたさを感じる時間です。気がつけば昼食を取る時間が取れなかった。
こうして初日は楽しく、順調に無事終了。さっ、夜の部へ。今夜は寿司だ!

2日目(火曜日)。予定通り10時半頃会場に着き開館の準備。開館して間もなく、今回の個展を観て欲しかったひとり、画家の堀研さん(安井賞展/佳作賞受賞・行動美術会員)が見えました。人の少なそうな日にちと時間帯を選んだとか。ゆっくり観て廻った後、「素晴らしいですねー、感動しました。最近観たことのないような素晴らしい個展です。考えさせられるところがありました」と…。思いもよらなかった言葉に大変勇気づけらる思いです。
昼頃、前日来られた画家が光市の友人の画家を連れて見え、是非観せたかったからと紹介を受けました。その後この方はじっと絵と対話をされてる様子、しばらく居てもいいですか…と3時間程じっと観て行かれました。この日は他にも絵の関係の方も見えました。午後には前日の女性記者が建築専攻のボーイフレンドと共に…我が若き頃のハチャメチャな建築三昧の話をしばし…。
さらに、思いもかけなかった出会いです。4,5歳の頃よく二人で遊んでいた、隣のお米屋さんの“たかちゃん”が新聞を見て、会いに来てくれました。名前を聞くまでは分かりませんでしたが、顔に見覚えがありました。お互い様でしょう。お米の入った大きな木桝が並べられた中で遊んでいて大変叱られた記憶が…話をしている内に思い出が走馬燈のように蘇ってきました。
この日も愛好家、友人、同級生、市内のご高齢の方々が観に来て下さった。この日の宇部日報に昨日のインタビューの記事(写真貼付)が載っており、丁寧な記事の構成や扱いにありがたい思い。

絵が導く出会い、懐かしい友との出会いの二日目も無事終了。この日も昼食を取る時間が取れなかった。さっ今夜も宴会だー!

3日目(水曜日)。この日の朝、家内と娘が車で山梨に帰りました。この日からは同級生が交代でお茶出しを手伝ってくれることになりました。雨模様の天気で、今日は少ないかなと思われましたが、開館間もなく来館者も見え始めまずまずの出足です。
この日の最大の出来事はお昼過ぎ。一人の女性からギャラリーに電話が入りました。「新聞で名前を見たのですが、あなたは古磯康(父)さんの息子さんですか?私は、部下だった○○と言います。お父様には大変お世話になり、充分なお礼も申し上げられないまま今に至っています。もし、息子さんならば、お会いして、そのお礼を直接お伝えしたい。私は隣の小野田市に住んでいますが、これからタクシーでそちらのギャラリーに向かいます」。しばらくして、その女性は見えました。90歳を越えてる方ですがしっかりされていて、父が35歳の時のだという写真を携え、お着物姿でにこやかに。とても素敵な方で、父の若い頃の話や、私が生まれた頃の話をされてお帰りになりました。いやいや何とも感動の時間帯でした。その間、タクシーは待たせたまま。未だ余韻冷めやらずです。
この日も行動美術の画家、彫刻家、美術関係者、同級生、友人、等々多数。
この日、山梨から友人夫妻がキャンピングカーで遠路はるばる観に来てくれました。
夜は、奈良から観に来てくれた同級生達とギャラリー閉館の時間を待って町に繰り出し。これまた楽しい宴会でした。

4日目(木曜日)。
4日目にもなるとこの“非日常”に私も慣れ、連日の宴会にもめげず、予定時刻に会場に入り淡々と開館の準備へ。さて今日はどんな出会いがあるのだろうか…。
新聞の効果でしょうか、この日も順調に様々な人が観に来てくださり、盛況。
地元の宇部市以外、下関市山口市萩市からも。萩の画家からはいい個展ですね、と。
昼頃、初日の夜行ったお寿司屋さんからありがたき昼食の差し入れ。旨い!
午後には同級生達が地元の他、東京、埼玉、沖縄、カリフォルニアからも。この個展に併せてセットされた翌日の小学校同期会、そして土曜日の中学校同期会への出席がてら観に来てくれました。
この日の夜、二日目に見えた画家の堀研さんに夕食へ招待されました。このために切り取られた庭の椿一輪を付けたひと枝が迎えてくれました。ワイングラス片手に絵画談議等々。夫人は現代俳句の俳人。三人で二時間余り、話しは多岐に渡り、思い出に残るなかなか面白い時間でした。最後は、ほろ酔いの堀さんの見送りを受け、宇部空港へ。明日の小学校同期会出席の東京からの第二弾をお出迎え。この後、宴会第二部へ!

5日目(金曜日)。
午前中、やはり観て欲しかったもうひとり、中学時代の美術の先生が隣の山口市から見えました。何十年振りでしょうか、最初は気付かなかったのですが、一通り観終えられてから、「古磯君ですか」と話しかけられ、ハッと気付く。「これまでに余り観たことのない独自の絵で素晴らしいですね」と称賛を受け、話は中学時代の美術部での話にまで及び、当時の様子が懐かしく思い出される時間でした。
午後になって、今度は四歳時の呑み友達との再会…これは昨年1月発信のRyuの目「私の酒歴/ワインの思い出」に書いた淡い(!?)ワインの思い出・・・
『…大人達が旨そうに口にするその得も知れぬ“液体”に子供心に不可思議な興味を抱いてはいました。それを口にする機会がついに訪れたのです。ほんのひとくち…。生まれて初めて口にしたその味は、甘いものが不足していた時代の子供の舌に染み込むように“甘味”を刻印してくれました。……いつも一緒に遊んでいる一歳年上の友達を見つけ、我が家に誘い込みました。「おいしいものがあるから飲もう」と……かれこれ小一時間ほどは経ったのではないかと思われますが、いい具合になった頃、突然に!玄関の戸の開く音がしました。ガラガラガラー!!。母が買い物から帰ってきたのです。ヤバイッ、シマッター!!!』……
この一歳年上の友達が広島から観に来てくれたのです。彼もこの話は覚えていて、あの後お母さんから叱られたとか。何とも懐かしかったー。
この日は、姉の同級の方々や小学校の同期会に合わせて来た同級生達で会場は賑やかな場に(ちょっと個展の雰囲気ではなくなった)。ポスターを観て駆けつけてくれた美術関係の方もいました。
この日も盛況。夕方から小学校の同期会へ。終わって、ゲストハウスに戻り、二次会。同期会に参加した面々もここに宿泊。

6日目(土曜日)。個展も終盤へ。開館と共に、出足好調。夕方の中学同期会に参加の面々が三々五々来館。東京、大阪、兵庫、岩国、小倉、福岡から。懐かしい顔、よく見る顔、…あのころが思い出される。中学時代はもっぱら絵に夢中で、放課後は毎日美術部へ。遊びもしましたが、よく描いていました。この頃は様々な絵の募集があり、毎週のごとく応募していました。一番の思い出は、一年生の時の西日本スケッチコンクールで天賞をもらい、団体でも我が中学が一位になったことでしょう。今でもその時の新聞記事はとってあり、大切な思い出の一つ。
夕方近くになって、“ものづくりマイスター”の称号を持つ表具師の方が、たまたま付き添いで来られたとか、「いい個展ですね。こんな個展とは思わなかった。来てよかった。」と、しばらく話をして帰って行かれました。こういうのは嬉しいですねー。
この日も盛況。夕方から中学同期会へ。なんだかんだと夜中就寝。

7日目(日曜日)。いよいよ最終日です。長〜い一週間でした。いろんなことがありました。
この日も出足好調。前日の中学の同期生に始まり、様々な方が大勢見えました。
重要文化財復元の第一人者と言われる日本画家の馬場良治さんも、眠そうな顔で見えました。
この個展では夫婦模様もなかなか面白く垣間見、それぞれの人生模様を感じさせます。作品を求めて下さるご夫婦の四つのパターン。
・二人で相談しながらお決めになる夫婦
・ご主人の一存で決めそれに従われる奥さん
・逆に、奥さんに任せっきりでただただ付き添うご主人
・夫婦それぞれが好みの絵を求められるご夫婦
なかなか見ていて楽しいものでした。
幼稚園経営のご夫婦が、園児たちへと50号の作品を求めてくださったのは嬉しい限りです。小額低学年の時の“絵”との出会いが思い出されました。
こうして7日間の初個展は無事、盛況の内に終わりました。300名に近い方々が足をお運び下さいました。様々な出会い有りの感動の7日間。故郷ならではの個展でした。
夜は打上会。同級生が30名程集まっての打上宴です。会場に着いた時は既に宴たけなわ。早速、興奮冷めやらないまま感謝の意を述べて冷えたビールをキューー!!終わったー。

次の日(月曜日)、朝から搬出と求めていただいた絵の梱包発送作業。これにも同級生が手伝ってくれました。約50点の作品の搬出梱包作業全てが午後には終わり、感謝、感謝。
この一週間、ギャラリーのオーナーには陰に陽に何かと面倒を見ていただいた。落ち着いて、ゆったりした気分で鑑賞できる素敵なギャラリー(写真添付)で、さらに進化した作品が出来たらまたやろう。
火曜日。この個展のありがたき仕掛け人であり、ゲストハウスをご提供いただいたご夫妻にお礼を述べ、列車で一路山梨へ。さすがに疲れたようで、思考停止にも似た状態で、車窓からの景色を眺めながら、この10日間と言う時間をゆっくり反芻していました。

山梨に戻って間もなく、画家の堀研さんから次の様なメッセージが届きました。
「初個展、大成功、本当におめでとうございました。精神的、音楽的、造形的、・・・すばらしい作品群に学ぶところ大!でした。どうか、お体を大切に、ますますのご活躍をお祈りします。」
何とも勇気づけられる言葉をいただきました。個展やってよかった!!
さあ、又、描き始めよう。


◆今月の山中事情105回−榎本久・宇ぜん亭主

2015年01月発信
山中事情105回
―その1・昭和90年正月―
平成も二十七年となりました。本年もよろしくお願いします。
何時の頃からか、新年の抱負などというものは心の中から消え去っている。齢七十に近くなると、一日後の「将来」についてさえ、あれこれ思いを巡らすことも出来ず、実現が極めて困難な「希望」ぐらいにとどめておく程度になったようだ。だがこの歳で、この病身で、仕事をさせていただく有難さだけは心より喜んでいる。
すっかりハードなことをやる気力や体力がなくなったのは、精神衛生上、誠によろしくないのではありますが、何ごとも危険が前提にあると考えるようになってからは、比較的天災の少ないこの鄙びた町でペンや筆を走らすことの方が安全だとなった。それでも、季節のよい時はゴルフをやりたい衝動に駆られることもあり、その時はパターゴルフで満足しなければならないとなっている。
さて、年末にアベノミクスとやらのワンイッシューだけで、やらなくともよい、選挙という浪費をした。結果は選挙前の勢力と代わり映えしなかったのだが、野党を打ちのめした無敵の戦略家であることを印象づけたかったのであろう。その野党も野党で、果たしてその存在意義はあるのだろうか?無策を弄し、議席にしがみつき、高給をむさぼっているとしか見えないでいる。
この国の本年以降果たして何が待っているか。見通せるのは、現政権が企てる政策が次々数の力で実現されることである。選挙で信任を得たとばかりに、ある時は大胆に、ある時は姑息に、そして彼らが好んで使う言葉の通り、粛粛となされるであろう。だが、それによって国民が幸福になれるとは言っていない。
望まぬ者は反対の意思を表明しているが、この政権がそう言ったと誤解して投票した者達は、幸福になれなくとも、不満を言うことは出来ない。あとの祭りとなだめるつもりはないが、そのことを口惜やむなら次のチャンスは現政権を選ばない投票行動を起こすことだ。私の望むことがすべて杞憂に終わることがごく普通の姿である。

―その2・初夢・・安部政権の約束―
技術立国の我が国に於いて、少子高齢化に伴う若年層の減少は、技術の継承が困難となる故、若者を戦場に送り出すことは国の利益とはならず、集団的自衛権行使容認についてはこれを撤回する。
憲法改正論議は歴代自民党政権がとってきた行動に準じ、この政策は削除する。原子力発電の稼働は一切認めないことにする。震災後三年余の間、日本の電力は作動し、経済にも大きな支障をきたさなかった。
メタンハイグレードが日本近海に多量にあり、効率的採取が可能となり、新エネルギー源として充分であることが確認できた。他の自然エネルギー共々、各電力会社は新たな任務会社となる。
拉致被害者問題は北朝鮮と長い、長い交渉の中でようやく合意に至り、間もなく帰国できることになった。人が人の心を知ることが出来たからだ。
靖国参拝を中止することによって、中、韓両国は歓迎の意を表し、両国はこれ迄民間レベルの交流から国対国の一層の飛躍を望んでいる。
辺野古の海は、かつてと変わらぬままだ。日米安全保障条約は、沖縄より米軍事施設を全て解除した。これによって世界一危険な普天間基地に一機もオスプレーが飛んで来ないことになり、沖縄の島々はようやく「戦後」となった。
派遣労働者は、企業の内部留保を回すことによって時給の上乗せが平均十五%となり、低賃金からの脱却が計られる。
子育て支援の拡充は欧米並みの政策が採択され、又、働く女性の活躍も現実化することになる。
年金については、若い人の負担を考慮しながらも、沖縄に掛かっていた軍事費、不必要な支出の精査、によって最低年金を現行より三%上乗せ出来ることになった。
安部政権は昨年の選挙結果を踏まえて、これまで国民が真に望むことを本年中にすべて実行することを約束し、我が国を幸福度世界一を樹立することを宣言した。又、コスタリカ国のごとく、非戦闘国を貫くことも表明した。

秩父で四度目の正月の夢は、私の切望していることでした。

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