★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.91

蒸し暑い毎日が続きます。
梅雨明けもそろそろと思われます。
明日は参議院議員選挙の投票日です。
さて民主党政権に対してどんな結果が出るでしょうか?

では《Ryuの目・Ⅱ−no.91》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岸本雄二さんです。

−海洋石油汚染−

ハワイの活火山から吹き出てくる溶岩や、ハリケーンカトリーナがもたらした水害、さらには自然消滅に任せたイェロウストーン・パークの火事などと比べて、石油流出汚染は報道されているように悪質で有害なのだろうか。海底地震によって石油の貯蔵箇所が破壊され、天然の石油が海中に流出したことは今までに無かったのだろうか。現実として、海底には活火山が数多くあり、そのあるものは溶岩とともに猛毒の硫化水素を絶え間なく海中に噴出していると聞く。メキシコ湾のBP石油会社の石油汚染事故が、これほどに最悪視される理由は何なのだろうか。我々は、防ぎようの無い自然災害は意識として受け入れるが、人為的な原因による災害は受けつけようとしない傾向がある。しかし、地球上の多くの問題に関して、直接、間接に根源的原因である人口過多、すなわち増加しすぎた人間自身が原因であることについては、むしろ避けて通ろうとしているように見受けられる。同様に、上に述べた自然現象が原因で起こる天然の石油汚染については、ほとんど何も報道されない。ここで私が付け加えておきたいのは、石油のなかや、火山から流出する猛毒の硫化水素のなかにも生きている生物がいるということである。我々人間は人間中心に考え、何が問題で何がその原因かを決める際に、非常にご都合主義的態度で決めてしまいがちだ。

もうそろそろ、地球上の多くの問題の根本原因が人口過多であり、人口減少について真剣に取り組んでよい頃だと思う。しかし、経済や、政治、また宗教の観点から考えると、この問題は決して容易に受け入れられない問題であることも、よく理解している。

石油汚染の問題について、責任をなすりあったり、大きな声で文句や不平を叫んでばかりいるのではなく、むしろこれをチャンスに勉強や研究に励んで、解決策を見つけようとするひとびとがいてしかるべきだと思うのだが。たとえば、機械工学、土木工学、環境工学などの分野の研究者や、石油発掘会社、法律事務所、政治家などが協力し、災害を建設的に見直して改善の方向に向かわせてもらへたらと思う。恐らくはすでに多くのそういうグループが積極的にこの問題に取り組んでいることだろう。過去には、原子力破棄物の環境汚染に真正面から取り組み数々の解決策を生んで名を出した環境工学のグループがあった。

ここで、環境汚染と「人間性」について、思い切った問題提起をしてみたい。人間性、人間至上主義、博愛主義などは、人間のあるべき姿を表現した崇高な言葉である。しかし、もし人間中心から自然界や地球環境の規模にまで視点を広げるなら、「人間性」という崇高な語感はたちまち色を失っていくのを感じる。
そして、「人間性」とはあくまでも人間中心の言葉であって、ねずみや雑草や台風、または自然や地球でさえも「人間性」という思想には含まれていないことに気付く。

現在、「鯨」が世界的な注意を引いている。「鯨」を保護すべきか捕獲を許すか、で議論伯仲し、政治的問題にまで発展している。あたかも「鯨」が「人間性」と関係しているかのように扱われているのだ。同じようなことなのだが、我々人間は、醜い蛾よりも美しい蝶のほうにより興味を持っている。人間にとって蛾より蝶のほうが美しいからであり、同様に、鮫より鯨のほうに味方したくなるのである。人間はあたかも神であるかのように振舞って、「種」の運命を決めようとしているようだ。しかも科学的根拠というよりは感情的は好き嫌いという「人間性」に論拠を求めた結果の判断のようなので問題なのである。しかし困ったことに、この人類自身が、地球や自然界の存続のために何の貢献もしていない寄生虫的存在なのだから尚更である。そもそも石油は生物などが地中深くで長期間、高温高圧下にさらされて出来た有機物なのであり、地球の一部としては人類よりも長い歴史を持っている。それでは、人類と、石油・火山・台風・鯨/鮫・蝶/蛾・地球などとの関係につて、私が言わんとしていることは何なのであろうか。

人間の知性が、人類だけではなく地球上の生あるもの全ての存続を考える力を有しているはずだ、と信じたいのである。先ず第一に、人類が常に宇宙や地球の環境の一部であったという事実である。ではこの大きな環境において、「人間性」とは何なのだろうか、というより、どのぐらい重要なのだろうか。「人間性」を再定義したほうがよさそうだ。アメリカにHumane Societyという動物愛護協会があるが、直訳すれば人道愛協会となり、「人間性」にペットも含まれていると理解すれば、人間以外の動物保護も言い表していることになる。石油汚染で始まったこの講も回りまわって、いま問題になっているペリカンやイルカや海藻など、生態系の保護の問題へ到着したようだ。人間の主観的な見かけだけの印象によるのではなく、より広い視野を持って、より科学的に全ての生態系の存続を問題にするように「人間性」を再定義したらよいと思う。それが結局は最善の形で人類の存続に繋がっていくのだ。

発明発見をも含めて人類が創造したものの中では、文化が最も人類固有のものである。ほとんどの技術的発明は、人体のある部分の延長上にある。たとえば、脳(コンピュータ)、五感(めがね、補聴器、顕微鏡など)、足(自転車、自動車、列車、飛行機など)、手(箸、楽器、大工道具、刀、、など)便利で他の生物にも喜んでもらえるものが多い。しかし文化のなかでも、芸術は人間特有のものであろう。ゆえに、芸術を「人間性」の中心の据えておけば、「人間性」の存続もより考えやすく理解しやすくなる。

海中油田発掘事故でBP石油会社が、石油汚染を起こし環境破壊と大きな経済的負担の元凶を作り出したのであり、その後始末をするのは当然である。しかし、同時に人間の視野を広げる機会を演出して、我々がより謙虚になり、より賢明なる人類の可能性を創造することに寄与するかもしれないのだ、ということを忘れないでもらいたい。人間に、賢くなった分を行動に表してもらいたいと願っているのは、私だけでなないだろう。

2010年7月1日 クレムソンの豊かな自然のなかで、岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その10−

年が明けて2008年2月、土地の抱える諸問題はクリアーされ、無事入手に至りました。最初にこの土地を見てから10ヶ月、住処探しの散策を始めてから3年弱の時間が経過していました。散策当初からは予想しなかった展開で、紆余曲折を経ながらも、イメージにあった場所を見つけることが出来、移住に向けての一山を超えることが出来ました。
さて次の一山は姉の住んでいる家の売却問題です。併行して二世帯住宅の設
計に取りかからねばなりません。
売却問題は理想的には山梨での家が完成する(予定は1年後の2009年2月頃)あたりで売れることですが、そんなに都合良く行くとも思えません。知り合いの不動産屋さん(住友不動産販売)に一切の仕切をお願いすることにしましたが、売却に問題があることが解りました。接道の問題です。住宅用の敷地は道路に2メートル以上接していなければなりません。現状は幅員4メートルの道路に2軒が2メートルずつ接していると思っていたのですが、測量の結果、ほんのわずか(十センチ程)足りないことが判明しました。このままですと土地は半分の価値しかないことになります。解決方法は二つ考えられましたが、どちらも他人が介在する話です。一つは、道路に2メートル以上接している隣の土地とこちらの土地を一部交換して不足の十センチ程をカバーする方法です。極めて現実的な方法ですが、隣の所有者にすんなり了承してもらえるかどうかが問題です。
もう一つは道路の位置指定を取り直して道路幅を拡げ、2メートルの接道を確保する方法です。問題は、この道路に関係する十数軒全員の了解(実印押印)が必要なことと、解決するまでに半年以上はかかるであろうと言うことでした。

不動産屋さんの勧めでひとつ目の隣との交換案を検討することになりました。長年、隣同士での付き合いがあるのですんなり行くのではとの期待を込めての折衝です。不動産屋さんの立ち会いのもと交渉に入りましたが、いざ、お金がらみの話になるとすんなり行きません。様々な案を提示してみましたが、隣の要望に添えず断念せざるを得なくなりました。こうなったら仕方ありません、実現が疑問視されていた2番目の方法をとるしかありません。しかし、案ずるより産むが易しでした。近所の関係する方々には快く了解してもらえました。
こうなったら隣の方もこの案に反対をするわけには行きません。この間、数ヶ月の時間が経過していました。この後、全員の押印が完了するまでに更に数ヶ月の時間を要することになりました。

つづく


◆今月の山中事情51回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−菅さんおめでとう−

この国に於いては政権交代は、私の生きている間起きないと思ったが、病院
でひっくり返っている間にそれは起きた。鳩山民主党政権が樹立した。自民党政権で汚れていたその世界を「大掃除」するのだと広言して憚らなかった人達が拍手喝采を浴びて登場して来た。
しかし、諸兄ご存知の通り鳩山政権では必ずしもそのすべてを達成されず、半年も過ぎない頃からにわかに鳩山政権の幼稚さが日を追う毎に露呈して来た。それでも日が浅いから、時間が足らないからと大目に見られてきたが、結局、自民党政権とさほど変わらぬ状況が続くに至り、政治に素人である我等でさえ開いた口が閉らなくなった。
百歩ゆずって「大掃除」に手こずっていても、野党時代のそれとまるで相反した姿に我等は落胆したのである。よってあえなく鳩山政権は崩壊したそこに、我等の菅直人さんが総理大臣として登場した。政治を職業としてその最高位になった。それは我々日本国民の生活を彼が総身になって安危を念頭に置かねばならない立場になったのだ。
しかし、ともかくも慶事だ。何度も関わりを持たせて貰った者として心よりお慶び申し上げます。

かつて当店では(東京時代)彼を交えてしばしば同級会が開かれ、深夜に及ぶ政治談義が行われた(いつしか私も仲間に入った)。今となってはとてもなつかしく思い出す。その間、衆議院外務委員長、厚生大臣となられ、政治の中枢に入られてからは多忙を極め、同級会には仲々参加出来なくなった。最後にお会いしたのは衝撃的だった。年金未納問題で民主党の代表を辞し、四国へお遍路に出かけ帰って来た頃で、頭を丸めて見えたのだ。彼なりのケジメだったが、その後名誉は守られた。社会保険庁のミスで年金は支払っていたのだが…。当時我々はそのことが判明して、代表を辞めたことを口惜んだ。
イラ菅」と称する人がいるが、笑顔の素敵な人ゆえ私はそれを感じたことはなかった。そういう趣旨の手紙を書いたこともあったが、返事は来ていない。その後、テレビの予算委員会等でしか拝見出来ずにいるが、あの舌鋒鋭さが最近少し失せたような気がしてならない。今後は立場が代わり、総理がゆえその人となりをふるい分けされる。あらゆるメディアも喧しいが「一国の長」ゆえいたしかたなく受容しなければならない。
国民はこれまであまりに多くのことを学ばされて来た。私なりに感ずる声を発したいが、それは菅内閣の政治を見てからにしよう。大病をした経験から申し上げたいが、計り知れない激務が待ち構えています。一にも二にも健康を意識して、国家、国民の為に蛮勇を奮って貰いたい。

 宇ぜんホームページ
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