★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.89

新緑が目に鮮やかな季節になりました。
白州では田圃に水が張られ、再び透明感溢れる風景が現出しました。
さて、しばらくお休みでした「山中事情」の復活です。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.89》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は菅井研治さんです。

−最近のクルマ考−

たしかその昔、フロントバンパーの真ん中になにやら重い棒を差し込み汗をかきかきクルクルと回し、エンジンをかけるのを見た、そんな記憶がほのかに残っている私です。
最新のクルマはというと、鍵に触れることもなくドアが開けられて、小さなボタンを押すだけでクルマを動かすことができる、これはもうマジックの世界にいるような、そんな気持ちにさえなってしまいます。
それに、走り出すときにクルマの音がしない! 文句なしに、クルマはデンキ製品化していると言いたくなってしまう!そんなクルマたちと接することもしばしばです。
クルマがキカイ系だった時代(今もまだ多くはそうですが)アクセルペダルを踏むとエンジンルームにつながった機械式のケーブルが動き、その加減で燃料を使う量をコントロールしてエンジンを操っていました。
そして、デンキ系の時代になると、アクセルペダルの動きからドライバーがどうしたいかをコンピューターが読み取って、燃料の噴射量をコントロールし、さらにはいわゆる変速ギアまでもを選択してくれています。
そしてブレーキはどうかというと、キカイ系の時代のクルマは、ブレーキペダルを踏み込む力に応じて廻っている車輪を押さえて、ある意味では力ずくで止まろうとするのですが、ごく最近のハイブリッドの仕組みのクルマたちでは、ぺダルを踏む力に応じデンキブレーキとキカイブレーキをミックスして上手に止まるという、これまたコンピューターのお世話になった新しい考え方のシステムになっているのです。
なにか違和感が・・・と、はなから訴えるドライバーもいるといいますが、これは仕組みが異なるのでフィーリングが少し違うのは理解してもらわなくてはなりません。

しかしちょっと待ってください。最近世の中を騒がせたリコールとやらは、この辺の話しじゃなかったのではないですか?”フィーリングの違い”ですむ部分と、すまされない領域とが実はあるんですよね。
コンピューターでドライバーの気持ちを察するというのはいいのですが、それ以外にタイヤの状態、お天気、路面の状態などたくさんの異なった状況でブレーキのコントロールをするプログラム(想定への対応)がどれほど抜けがなく出来上がっているか、想定外は、ことブレーキの場合はあってはならないわけですよね。(もちろん、万が一の故障時などの場合には確実な制動がかけられるような仕組みに以前よりなっていますが・・)
そうか、デンキ系ましてやコンピューターのプログラムによって動いているとなると、今までと違った事がいろいろ起こることがあるんだということも、私たちはいろいろイメージしておかなくてはいけないんですよね。

先日、私のクルマのバッテリーが上がったときに、電子認証キーが作動せず、クルマの中に入れず困ったことがありました。電子キーの中に内蔵している機械式の鍵でドアを開け、あ〜良かった!となりました。
クルマは今、キカイとデンキ、そこへコンピューター技術が手を組み進化していこうとしていると感じます。
メカトロニクス、なんていう造語がはやった時期がありましたが、
そう、これでいきましょう。
エレクトロ・コンピュート・メカニカル な、乗り物ということで・・・・・・。


菅井研治さんのホームページ  INTERCITY OF JAPAN
  http://www.intercity-jp.com/


◆今月の隆眼−古磯隆生

今月は「住処探し」の続きをお休みして安田講堂での能の話をしてみたいと思います。

アール・デコと三番叟−

三番叟(さんばそう)は能楽「翁」の中で狂言方が受け持つ祝言の舞(五穀豊穣を祈る)だそうです。この三番叟が先月、東大の安田講堂で、野村万作によって舞われました。
免疫学者の多田富雄が代表のINSLA(Integration of Natural Science and Liberal Arts−自然科学とリベラルアーツを統合する会)が主催する第3回講演会が、「日本の農と食を考える…農・能・脳から見た」というテーマで安田講堂で行われました。三番叟はその能の部で舞われたものです。

安田講堂は、大学受験の夏期講習の時、授業でその外観をスケッチしたこともありましたが、寧ろ東大闘争のシンボルとしてテレビで見たその攻防が目に焼き付いています。想像していたような圧倒感はなく、寧ろこぢんまりした印象すらあり、あのころを思い出すと時の経過を感じさせられました。
そんな思いをしながら初めて講堂の中に入りましたが、半円形状の空間は落ち着いた雰囲気で、歴史を感じさせます。大正期に建設されたこの講堂はアール・デコ風なインテリアデザインで、それ自体としても興味を抱かせるものですが、能舞台としての設定はきわめてユニークです。
このアール・デコ風(どちらかというと幾何学的な装飾)なインテリアの舞台で舞われる能がそのインテリアとどんな対比を見せるのか、次第に新たな興味が湧いていました。
いよいよ開演。野村万作が舞台に登場するやいなや、場内には緊張が漂いました。演者側の気合いは場内を制します。笛と鼓と舞いの凄味を感じさせる競演、それぞれが激しくぶつかり合うやりとり。否応なく目は舞台に釘付けとなり、インテリアとの対比のことは意識の外に置かれていました。

程なくして落ち着きを取り戻してみると、その異質なアール・デコ風を背景に演者の装束が何とも不思議なマッチング(寧ろ、絶妙な取り合わせと言うべきか)を見せているではありませんか。その舞いは不思議さを越えて空間を支配し、観る者を圧倒して行きます。野村万作の乱れのない舞いは、講堂の壇上を特殊な“場”へと変容させたのでした。
所謂、方形の能舞台ではない、全く異質な設えの中での舞いに違和感は覚えず、素晴らしかった!


◆今月の山中事情49回−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−生還−

私に死が迫った。
考えたこともないことが
突如現実に起こった
しかし死は回避したが
その代償として
後遺症を置いて行った
それから
長い長いそのこととの格闘が続いている
でも辛い格闘ではない
辛いのは仕事が出来ないという現実だ

懸命になって
包丁ではなく
プラスチックのモノサシを振った
私なりに考えたリハビリ作業だ
それを駆使して
ゴム粘土を魚に見たて
刺身を切る真似をした
少しづつ勘と感覚が戻った

私はおびえていた
最初の段階で
それが出来なかったことへの
おびえだった
何事にもそうだった
それまでは私はどちらかと言えば
恐いもの知らずだった
それが今ではおびえている
何故そうなのかは明解だ
全体の筋肉が萎縮しているからだ
あと数ヶ月かかると医師は言う
麻痺があったらもっとだ

私は往生際が悪いのか
運が良かったのかは解らないが
ラッキーだったねと医師は言う
最先端の医療環境の中で
私は命を再度手に入れた
しかしそれより死は
いつ、なぜ、どこで起るか解らない
死は常にその隣に鎮座している
考えていなかったと今は言えるのは
死ななかったからだ

人は些細なことで命を無くし
重症でも死なない
ベッドに横たわり
命のことばかり考えていた
私はやっと文字を書く気になった
その意味では、最も大事な気力を失っていた

仕事柄余りにも多くのお客様が東京方面から、
又、新しい地でお客様になっていただいた方が
お見舞いに来ていただき、励ましていただいた
古磯氏によれば、私の見知らぬ読者の皆様も
励まして下さっていると伺った
この場を借りまして心より感謝申し上げます

 宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/