★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.84

師走です。暖冬か?と言われながらも朝晩はやはり寒いですね。
アメリカの岸本さんからクレムソンの紅葉の写真が届きましたので添付します。
あっと言う間に一年が過ぎようとしています。
良いお年をお迎え下さい。来年も宜しくお願いします。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.84》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供はお馴染みの岸本雄二さんです。

−才能−

人間以外のものに自分を投影して話させることを擬人化というようです夏目漱石の「我輩は猫である」が擬人化の有名な例でしょうが、よく考えてみると、非常に不自然です。デユズニーの漫画映画の「バンビ」も「ダンボ」も「ライオン・キング」も似たような手法を使っています。動物の描写ではなくて、動物を使った人間の話です。この間接法を使って作者の人間にたいする観察の鋭さが遺憾なく発揮されることもありますが、どうして、同じことを直接法で、人間にしゃべらせないのか、という疑問が湧いてきます。何とも不自然です。もう一ついえば、動物の生命力、生活力の観点から考えると、動物の直観力は人間よりも深く鋭いものがあります。バンビの才能としての直観力を中心に生活力を考え、ハンディキャップのある人間のように扱うなら、擬人化などしないで動物をそのまま使って、我々人間の拙さを表現できるかもしれません。

脳溢血で半身不随になった人、脳障害のある人など、精神的にも、知的レベルも、身体的にも、普通の人間より機能の低下した人たちは大勢います。外国語ができないままその国へ行った人も、自分の知的レベルが低下したような経験をしたことがあると思います。どうも言葉に頼り過ぎると、言葉の限界にぶつかり、あたかも人間性の質そのものが低いような錯覚に陥ってしまいがちです。

しかし、視覚に訴える絵や、聴覚を通して人間の感性を揺さぶる音楽などの芸術を媒体にするなら、言葉を通さないで直接感覚に訴えれるため、身体的なハンディキャップはマイナスには作用しないようです。裸の大将の山下画伯や今年のバン・クライバーン国際ピアノ・コンテストに優勝した全盲の日本人ピアニストはその良い例です。ヘレン・ケラーを育てたすばらしい教師と同様に、このピアニストの母親のすばらしさも認められるべきでしょう。バン・クライバーンの母親も、バイオリニストのミドリの母親など、献身的な教育ままがいたお蔭で大成したわけです。アメリカの全盲ジャズ・シンガーでピアニストのレイ・チャールスもその一人でした。

言葉の文化に裏付けられた知性と、芸術の研ぎ澄まされた感覚と、スポーツで鍛え上げられた強靭な肉体など、才能の発見と発展は、今までは家庭や学校での教育の場で行なわれてきました。教師や親が子供の才能を発見すれば、その「才能」が途端の重大になってきます。もうこれは障害児だけの問題を通りこして、その国のコミュニティーを支える教育と文化の高さの問題になってきます。将来その国を指導する立場になる人たちの教育のことなのです。また、教師をどのぐらい優遇しているかが、その国の文化の高さの尺度にもなり得ます。
同じことが政治の世界についてもいえます。親の七光りではなく、政治力を屈指して国に貢献できる「才能」を持った人が必要なのです。ごめんなさい、せっかく高尚な話をしていたつもりが、政治について言及した途端に、次元の低い世界へ踏み入ったようで、大変失礼しました。
2009年7月28日  雨の日、クレムソンにて
岸本雄二


◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その4−

年が明けて2006年2月、前年の真鶴海岸での悪印象はありましたが、散策を山側から海側に移してみました。生まれ育ったところが瀬戸内海側だったせいでしょうか、潜在的な海への想いが私を導くように感じます。

中央高速道を山梨県勝沼ICで降り、「笛吹川」という素敵な名前の川に沿って散策しながら海の方へ抜けるコースです。身延線もこの川に沿っています。川沿に上ったり下ったりうろうろしましたが“いい感じ”のところをなかなか見つけることができませんでした。そのまま川沿に南下し、山梨県から静岡県に入りました。山梨県静岡県では何となく印象が違います。山梨の方がのんびりしてる感じです。静岡県の清水に出てから国道1号線を沼津方面に向かいました。途中で見た白雲に浮かぶ富士の姿はとても印象的でした。この時は海沿いの街並みを見ていくことになりました。

後になって強く感じることですが、海沿いの町に何となく「せわしさ」の印象を持ちました。私は釣りでよく海沿いの街に出掛けますが、人やモノの動きがそう言う印象を抱かせるのか、緑が比較的少ないことによるのか…、真鶴での印象を引きずってもいました。
3月には伊豆半島を巡りました。地震に対する潜在的不安感はぬぐい切れませんが、一方で海最前線の魅力は海好きにはなかなかのところです。高速道路を沼津で降り、海岸線に沿って土肥まで行きました。その間、落ち着いた、なかなか適当と思える場所は見当たりませんでした。土肥から修善寺方面に向かい、温泉で一休みして帰途へ。伊豆半島の尾根沿いの道はなかなか爽快でしたが、これと言った印象は残りませんでした。

海側の散策は、期待していた印象が得られないままでした。もっと伊豆半島を広範囲に見れば素敵な場所が見つかったかも知れませんが、東京へのアクセスに問題がありそうです。三浦半島は嘗て何度も海水浴で出かけましたが、やはり夏の道路の混雑ぶりには辟易とした印象が残っています。6月までしばらく散策を休みました。
つづく



◆今月の山中事情−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

先日、榎本さんを川越の病院に見舞ってきました。
脳梗塞で倒れて、目下リハビリ中です。後遺症もほとんど無くお元気でした。
復帰が待たれます。