★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.41

◆今月の風 : 話題の提供は 田中 義正 さんです。

−お坊さんのひとりごと−             

五月の爽やかな風が頬に心地よい。境内にはツツジハナミズキ、さつきや小手毬、紫蘭などが咲き競い、新緑の中に色を添えている。普段の街角を曲がるといつもと違うほっとする空間がある。お寺とはそんなところだと思い、八年ほど前に伽藍の建て替え、整備をした。檀家さんの中には、昔のままが良いと言う方もいたが終わってしまえば「いつも気持ちが良いね」という言葉を頂くようにもなった。庭の木々も落ち着き、建物と相まってずっと以前からあるような風景を醸し出している。まさに、非日常的な異空間を持ち、そこを訪れる人々が心の安らぎを得る事ができる。それが、お寺をはじめとする宗教施設だと思っている。
仏教批判の中で、お寺は死んだ人のためだけにあるような言い方がされているが、本当にそうだろうか。物事には必ず両面がある。修行をする為、教学を学ぶ為、確かにそうだが、その志のない、あるいは薄い人々はどうするのだろうか。いちばん身近な先祖供養を通して信仰の世界へ進むことが出来るのだと思う。葬儀や法事は故人の供養のためという第一義はあるのだが、多くの人々が信仰の世界への第一歩を踏み出すための良く考えられたプログラムでもあると思う。縁者が信仰心を育み、仏教の世界に教え導かれたとしたら、その先祖たちはまさに仏さまである。
さて、昨今お寺にも世相の波が押し寄せる。まずは世代間の断絶。高齢化の中、60歳を過ぎて親の葬儀を出すにあたり何も知らないという人が多い。「お寺のことはおばあちゃんに任せておけば良い」「お寺のことぐらい私に任せておきなさい」結局何も伝えてもらっていない。親戚が出しゃばるのも考えものだが自分たちで勝手にしますというのも困りものである。葬儀社は何でも教えてはくれるけれど、一般的なことに留めよう。細かいことはお寺に相談することだ。地域や宗派、お寺によっても事情が違ってくるのがこの世界。お坊さんも今は何でも教えてくれますよ。
次に少子化と未婚化。家族が少ない、親戚が少ない。来る人がいないから葬儀も法事もしないという人たちがいる。お墓を守る人もいない。一人っ子の長男と長女の結婚でさらに一人っ子となれば二軒分のお墓は守れない。それならどちらか一方にとなる。お寺も選択される時代となった。「お年寄りが多いから、これからのお寺は良いですね」と冗談めかしに言う人もいるが、自助努力がなければ檀家は確実に減っていく。
さてさて何をしたものか。布施行実践のためのボランティア活動は勿論のこと、落語会、講演会、コンサート、団体旅行、若い人たちにも少しはこちらを向いてくれるような企画も考えなければならないだろう。とは言えあくまできっかけ作り。写経会、御詠歌講、巡礼、四国遍路などの宗教体験の場を提供すると共に、人々が安らぎを得るために、しっかりと本筋の仏事を勤めていかなければならない。
弘法大師の言葉に「仏法遥かに非ずして、心中にして即ち近し」とある。幸せの青い鳥と同じように、やはり仏は自らの心の中ということだ。人々がそうあり続けるために、お寺は存在しているのである。

◇話題を提供して下さった田中 義正さんは:
東京都北区志茂にある真言宗智山派の帰命山西蓮寺のご住職(53歳)。この世界ではまだ駆け出しとのことです。お寺は今から七百年程前、弘安年間の開創で、現在、第三十七世だそうで、大変歴史のあるお寺です。
田中さんご自身は:
・平成七年境外に24時間いつでもお参り出来るガラス張の護摩堂を建立
・平成十年伽藍整備完成。いつもより良くする為にどうしたら良いか考えている
・民生・児童委員、その他PTA活動をはじめボランティア活動にも積極的に参加
・世の中から取り残されないように、色々な人の話を聞くことが好き
とのコメントをいただきました。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−まちの中の公園−

4月も末に近づいた雨上がりのある日、たまたま井の頭公園を散策する機会がありました。あちらこちらに見られる木漏れ日、きらきらと揺れ動く池の水面は目にまばゆいばかりでした。
ついこの前迄の花見の喧噪がまるで無かったかのように公園は静寂に包まれていました。人もまばらな公園では、乳母車に赤ん坊を乗せた母子、お年寄り、ジョギングする人々がゆっくりとこの時間を楽しんでいるようです。桜に華やいでいた風景は一変し、付近はすっかり新緑に覆われていました。“青い匂い”が一帯に充満し、散策する人々に新緑のエネルギーを提供しています。思わず深呼吸してみたくなるこの季節。
ここは街の中の公園…喧噪や埃っぽい匂いから隔絶した、都会の中の“非日常”の場所です。支配する静寂、小鳥の囀り、目に爽やかな新緑、揺れる木漏れ日、青い新緑の匂い、土の起伏、池水の香り、…限りなく五感を刺激し、蘇生させてくれます。
街の中の公園のさくら色から緑一色への色彩の変化は、続く季節に向かっての序曲の始まりです。
ここは街の中の公園。われわれの大切な空間です。


◆今月の味覚−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

−山中通信8−

山中はいよいよ全山がみどりの色をベースに木々の花や葉が織りなす時候となった。みどりの色は一体何色あるのかと思うほど木によってわずかに違う。草の色も又かくのごとし。葉を落とした枝に芽が顔を出し、枯れた草の中から又ヌーッと葉や茎を出す。草花に大地の息吹を感じられるのは山中ならではのこと、大変幸せなことである。鳥のさえずりも人間のそれに似て季候が良ければ朗らかになるのは当たり前で、名も知らぬ鳥が朝からご機嫌よろしくいろいろの声色を聴かせてくれる。
先日、三十三年振りに登山をしました。三十二年前商売をするにあたり登山を止めた。事故に遭遇することを恐れたのです。もちろん仕事に打ち込むためでもありました。それ以来の登山でした。秩父の大持山(1500メートル)と言う山でした。以前からお客様より声を掛けて頂いていましたが意を決して行きました。直線的な登山道が長いこの山に初めはくじけそうでしたが、身体は意外に反応して、無事山頂に辿り着きました。
山登りは頂上を極めることが醍醐味であり、どんな山でも感動以外ありません。三十三年前の秋、木曽駒ヶ岳以来の感動を味わいました。霞たなびく東京方面を眼下に、鮭入りおにぎりとおいしいたくあんと伊予柑のデザート、それに温かい麦茶のフルコースはことのほかおいしかった(自分で作ったからか?)。朝九時頃にゆっくり出ても、あちこちに山登り出来るところがたくさんあります。暇を見つけて、又、山登りを始めるつもりです。皆様も当店をベースキャンプにしてひとついかがですか?