★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.125

桜の時期も早々に過ぎ去り、五月になりましたが異常気象。暑かったり、寒かったり。
この異常気象に農家の人達は作付け時期に戸惑っています。
それでも連休明けには田圃に水が張られ(写真貼付)、一斉に鳴き出した蛙の声が夜を支配しています。
毎年繰り返される光景が今年も無事繰り返されています。

一方、右寄りの安部政権の本音がちらちらしてきました。
仮面を想像すると国吉康男の絵が思い出されます(写真貼付)。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.125》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は空閑重則さんです。
東京大学を退官後、現在は中国科学院理化技術研究所で招聘教授として指導にあたってるそうです。時々帰国した折には自宅で仕事をするそうですが、こんなボヤキもありました。
「4月になってからは家で(一応)仕事をしていますが、何やかや雑用が舞い込んで大変です。“亭主元気で留守が良い”は亭主側の話だったかと思い当った次第」

では話題をどうぞ。


最近、池上彰監修 「中国;不愉快な真実」(週刊アサヒ芸能増刊)を買いました。
よく見ると発売は2012年10月、一部の話題は時期遅れでしたが、諸所有益でした。尖閣など真面目(深刻)な話が大半ですが、「”中国人化しちゃった日本人”あるある大公開」という記事が面白かったので一部紹介します。
(筆者は1年半前から北京在住)

1.<列に並ぶときは割り込まれないように前の人との間をあけない>
 
 順番待ちの列があると、何気なく側に立っていて隙があるとさっと割込む、というのはよくやられます。まずは北京に行く前、六本木の中国大使館に ビザを取りに行った時に経験しました(他の要件で並ぶ中国人も同じ列だった)。その時は「あなたは後ですよ」と撃退し、周りの中国人から感謝されました。しかし北京ではまだやられっぱなしです。 なお中国での癖を日本でやると痴漢と思われるので気をつけねばなりません。

2.<とりあえず何でも値切ってみる>

 元来私は、物を値切るというのは売り手に対して「あんたは不正直なことをしているだろう」と言っているような気がしてできなかったのですが、中国に行って平気になりました。観光地のみやげ物屋、北京でも露店とか怪しいブランドショップでは言い値の三分の一から交渉するのが正しいと言われています(経験では五分の一でもよい)。日本でも大阪は同じらしいですが。

3.<餃子でご飯が食べられなくなった>

 餃子は肉饅と同じ「おかずの入った澱粉食」、つまりサンドイッチと同じです。したがって<餃子でご飯>は<サンドイッチでパン>と同じなので、違和感が生じるわけです。日本の餃子は皮が薄いところが違いますが。

4.<池袋を歩くと職務質問される>
 
 この前池袋に行きましたが大丈夫でした。

以下は雑誌に出ていないオリジナル
1.<交通規則は「事故を起こさないこと」;信号は関係ない>
 歩行者・自転車・荷車は自動車の間隙をぬっていつでも道を渡れます。これに慣れるまでに一年くらいかかりました。要は自動車の動きには法則があるので(さすがに信号に従う)、それを利用するのです。おかげで日本に帰っても交差点で車の右折が始まると足が出てしまいます。

2.<飲食店の店員を大声で呼ぶ>
 食べ物屋で店員を呼ぶ時は「服務員=フーウーイェン!」と思いきり怒鳴ります(どこの店もうるさい)。 日本では「すみませーん」とか「お願いしまーす」ですが、それでもつい大きな声が出ます。

閑話休題
 国家関係はギクシャクしていても、多くの中国人は日本にとても興味を持っています。
 近年で中国人が一番驚いた日本のニュースは「経済的に困窮した一家が飢死した」というものだったそうです。理由は「中国人なら、そういう状況では乞食でも泥棒でもやって生き延びようとする。じっとして死んでしまうなんて考えられない」というものでした。 考えさせられる話です。

<北京での小話>
 「風邪が流行っているとき、中国人は自分がうつされないためにマスクをするが、日本人は他人にうつさないためにマスクをする」 こんな自虐ネタもあるのです。


◆今月の隆眼−古磯隆生
http://www.jade.dti.ne.jp/~vivant
http://www.architect-w.com/data/15365/

−感 性−

私はこの数年、非常勤講師として大学で建築の講義を受け持っていますが、先日、学生とのやりとりの中で面白いことがありました。学生に対して、「自分の良いと思った建築或いは空間(有名建築の必要なし。日常生活空間もOK)を挙げ、何故それが良かったかその良さを具体的に説明して下さい」とのテーマを与えました。意図は対象を解析的に見て欲しかったからです。その回答のひとつに、中学時代に修学旅行で行った「竜安寺の石庭」を挙げた学生がいました。その学生は、良かった感想として「何かが矛盾しているような異様な空間の中でわたしは何故か妙な心地よさを感じた」と何とも魅力的な表現をしました。その理由について3つ挙げました。一つ目は「水の流れを表現するのに水を抜くことによって表現していること」、二つ目は「15個配置してある石がどこから眺めても1個隠れて14個にしか見えない様になっていること」、三つ目は「観ている人が多いにもかかわらず静まりかえっていたこと」でした。

一つ目は「白砂利で水の流れが表現出来てる不思議な面白さ」が印象的だったのでしょう…これは日本文化を特徴づける“見立てる”すなわちイマジネーションを駆り立てる世界です。枯山水の庭園はまさにこの見立てることによってその面白さが成り立ちます。
二つ目の「1個を隠す不思議さ」は何でしょうか?15個の石があることを知らされなかったら、この数の問題をどう思うか尋ねましたが、答えは戻ってきませんでした。作庭家(一説には小堀遠州作との見解がある)がこのようなトリック(?)をしたのでしょうか?私には考えにくい。謎めいたこの数の設問はこの石庭の独自性をより引き立たせるべく仕掛けられた禅問答の一種の様にも思えます。因みに、15個目は心の目で見るとか…。
三つ目の「不思議な静寂」は、この庭と静かに応答している人もいれば、作法上静かにしなければいけないと言われて静かにしてる集団(自分達)が同居し、妙な静けさが漂っていた不思議さが印象に残ったとのことでした。

この感想表現には3つのキーワードがあります。“矛盾”、“異様”、“妙な”です。
水は無いのに水を見てるような…、15個あると言われても14個しか見えない…、対象(石庭)に見入っている人がいる一方で興味を抱かない人がいるのに何故か静けさに包まれている…。
不思議だった体験がこの3つの単語から伝わってきます。
そしてこの若者の感性はその場の心地よい時空を感じ取った。


◆今月の山中事情85回−榎本久・宇ぜん亭主

団塊世代について−

我が国の総人口に占める団塊世代の割合は24.1%で過去最高を更新とか。予測されていたことが現実になっただけのことだが、当事者の私にとって、この報道が何としても快い響きを持って素直に読みとれないでいる。年金受給者が最大の塊であり、医療の恩恵を受けることも最大の塊である。政府にとっては、口には出さぬが財政の窮乏の要因として“やっかい”な塊であろう。その一面だけ見ればそうであるかも知れぬが、これまで国家に尽くした一人一人の功績を見ることなく、論調はどうしても“やっかい者”扱いに見えてくるのである。
この世代なくしてはあらゆる分野での成功はなかったであろう。曲がりなりにも一流国と呼ばれる国になったのはこの塊に浴すること大でありながら、評価は低いような気がしてならない。問題は団塊の世代が今後尚高齢となり、完全に第一線から退いた時、若年の負担が飛躍的に伸び、支え切れないとなった時である。

アベノミクスはインフレ策を取って経済を活性化させ、年金、医療にもお金が廻るシステムが長期に渡って可能であるなら、団塊組とて多少胸をなでおろすことが出来るが、状況はそんな単純ではなく、この段階で喜んでいるのは大企業のみだ。安部内閣発足後三ヶ月で雇用を四万人増やしたと胸を張っているが、どうも前内閣へのあてつけにしか聞こえてこず説得力はない。又、中小企業の環境整備を推進することによって地方の活性化を図ると言うが、このフレーズはずい分前から言われ続け、今尚効を奏さないでいる。人口構成の最大の塊である団塊の世代の持つ能力、技術力の喪失がある。適正に評価されないそれらの人々は、他国でその力を認められ、かなりの数の技術者が流出しているとも聞く。その引き止め策はないのであろうか。ある人は第二の人生を掛け海外の企業に出向く。ある人はこの国の行く末を案じ、ボランティアのごとくとどまる。

この国を支えた人々を評価することなく“定年”という烙印を押し、団塊世代を葬るのはいかがなものだろうか。団塊世代の奮闘は健気だった。

バブル後二十数年、多くは皆静かに生きてきた。右肩上がりの追求は大切かも知れないが、我が国もそろそろヨーロッパ諸国のごとく悠然とした暮らしぶりを模索した方が良いと思うのだが。テレビに映るヨーロッパ諸国のそれは、経済が鈍化していても人々はどこか豊かである。微増もしくは平行な経済成長で宜しとした世の中でよいのではと私は思う。

宇ぜんホームページ
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