★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.86

早、如月です。
まだまだ寒いとは言え、樹木の芽吹きに春が感じ取れます。
三寒四温の今日この頃、如何お過ごしでしょうか。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.86》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は徳久隆成さんです。

−フルートと私・四十の手習い−

新春を迎えると一年の抱負を各人が披露する恒例の会が我が家にはある。今年の私の抱負は「歩む」だ。ふと踏み出した一歩も 歩み続けると楽しい色々な景色がみえてくる。
1984年10月のある日のこと、それまで気にとめたことの無かった近所の少女が弾くピアノ曲が耳に響いた。「そうだ、楽器を始めよう。」どの部屋にでも持って行ける、窓を閉めれば近所迷惑なしで吹けるという理由でフルートを買った。初めて自分の楽器を手にした高揚感とフルートの姿、光沢で、それを唇に当てて眼を閉じるとはや多数の聴衆を前にしてコンサートをしている、拍手が遠くで聞こえるようだった。いざ吹いてみると音なんてこれぽっちもでない。いくら力んでもまた優しく吹いても応答なし。既に先ほどの夢想は無残にも跡形も無く飛び去り、過換気症候群という胸苦しさと正気を失いそうなボーとした頭だけが残った。

フルートとの出会い以後、私の時間は以前にまして速く通りすぎていく感がした。練習は仕事で疲れたからといって休む、夜の会合、アルコールでとぎれる、朝は夜型の人間には無理。練習なしでレッスン日が飛び込んできた。毎週出講してくださるM先生は「音楽は楽しむのであって学ではないので息永くしましよう」と激励とも慰めともとれることを言われた。40の手習い。この位のことがなぜ吹けないのだろうと情けない思いをするが60で始めたら40代ならもっと上手くやれるのにと考えるだろうと継続することに価値を見いだすと決め込んだ。

1年が経ったある日のこと、近所の奥さんと家内の会話が玄関で聞こえた。「奥さん 篤ちゃん よく吹けるようになったですね。」家内「篤君はここにいますよ。」と家内の後ろにいる2歳の息子の所在を示したらしい。奥さん「まあ それじゃー今吹いているのは! ご主人には絶対ないしょよ!」

あれから20年。2005年の秋、山口県が誇る秋吉台芸術ホールで家内のピアノ伴奏でフォーレシチリアーノを緊張しながらも楽しく演奏できたときはとても嬉しくて記念すべき日になった。翌6年はモーツアルト生誕250年で1年中彼の作品に取り組んだ。フルートとハープのための協奏曲第2楽章が一番のお気に入りになった。

夢がある。4年後の古希で、現在の我が家17名の各人が1曲づつ、会食付きのファミリーコンサートで披露して楽しむ。今ひとつは4年前に結成して施設等で年4回演奏しているおやじバンドSWTMMEN(スワットムメン:構成ピアノ、ギター、ベース、ドラム、ヴォーカル、フルート)のボランティア演奏を続けることだ。歩みは続く。


話題を提供して頂いた徳久隆成さんは内科の医師で徳久内科医院(山口県宇部市)の医院長さんです。


◆今月の隆眼−古磯隆生

−住処探し・その6−

2006年の秋になって移住計画は新たな展開を見る事になりました。
私の姉が、我々の<移住計画>に参加すると言い出しました。姉は退職後母の世話をしていましたが、母が亡くなった後は三鷹市で一人暮らしをしていました。姉には時折、我々の移住計画や物件探しの話はしていましたが、この年の5月の連休の時に宮城蔵王の知り合いの別荘で過ごした一週間で、自然に囲まれた田舎暮らしの魅力に惹き付けられたようです。人生の後半戦を都会生活から田舎暮らしへの転換に再チャレンジする決意を固めたようでした。

物件探しの基本条件とスケジュールが根本から変わることになりました。「10年後を目途に夫婦だけのこぢんまりした住まい」から「すぐにでも二世帯が居住可能な住まい」へ。
私達夫婦がすぐに移住出来なければ姉は一人で住むことになりますので、これまで対象に入っていた別荘地というわけには行かなくなりました。村の集落の中には入れませんが、そこそこ里の近くでないと一人住まいは無理です。

11月になって小淵沢に出掛けました。月刊雑誌「ふるさとネットワーク」にそこそこの条件の物件が出ていたからです。北杜市長坂にある<ふるさと情報館>に向かい、詳細な情報を得ると同時に現地に案内してもらうことにしました。

“コ”の字プランの2階建ての木造建物で、築年数は定かに覚えてはいませんが10年位のものだったでしょうか、そんなに経ってはいないものでした。なかなかの斜面地に建っていました。そのために思ってた以上に住居内には段差があり、部屋の移動になにがしかの階段を通らなければなりません。段差自体は空間に抑揚と変化をもたらしますので悪くはないと考えるのですが、膝の具合が良くない我がパートナーにとってはなかなかの負担になりそうです。また、高齢化したときのことを想定しますといかにも段差が多いと思われます。2世帯が居住可能なように改造を想定してみましたが、いささか無理がありそうでした。
車で5分も行けば小淵沢らしい様々な店が点在する素敵な場所ではありましたが、いろいろ話を聞かせて下さった持ち主(売り主)の切なるまなざしを背中に感じながらもこの物件は無理そうだなとの思いでした。

その後も二世帯住居の条件をクリアできそうな物件がなかなか現れず、設定条件の見直しを迫られることになりました。姉から、二世帯住居を建てることは出来ないかとの提案があり、ローコスト住宅ならあり得なくもないのかなとも考え、その可能性を含めて住処探しの方向を検討し直すことになりました。まだこの時点では最近の銀行が融資に厳しいとは想像していません。
つづく


◆今月の山中事情−榎本久(飯能・宇ぜん亭主)

お店のある正丸に戻って、復帰の日々をお送りとのことです。
このコーナーへの復帰を待ちたいと思います。

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