★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.180

師走です。
また一年が過ぎようとしています。
世界は不安定要素を増しています。
国内も閉塞感が感じられます。
来年はどんな一年になるのでしょうか。
どうぞ良い年の瀬・新しい年をお迎え下さい。
来年も宜しくお願いします。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.180》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は佐貫惠吉さんです。

一年はあっという間に過ぎる。ちょうど一年前の12月7日、米誌「タイム」は恒例の「Person of the Year」にトランプ次期(当時)大統領を選んだ。表紙に彼の写真を掲載し、「President of the Divided States of America」と記した。一年後の今、大方の懸念を上回る速度で悪い方向に走っている。
就任早々イスラム圏からの入国を禁止する大統領令を公布、だが全国的な州レベルの反撥を招き手直しした第二の大統領令を出す。夏に「白人至上主義者」を曖昧な態度で擁護し、全米で人種差別主義的な憎悪と対立を煽ったのも記憶されねばならない。すでに4月に保守派の判事を任命(補充)し、連邦最高裁で保守派が数的に上回っていたお陰で、12月4日、9月の大統領令を連邦最高裁から容認された。矢継ぎ早に12月7日にはエルサレムイスラエルの首都と見なす「公約」を実行すると宣言した。「テロリズムに反対する」と言いながら、実は「テロリスト」を大量に産み出す環境作りに余念がない。 トランプは「差別はあるが、差別は克服すべき、という理念で結ばれた共同体、つまり合衆国という政治的なシステムそのもの」をバラバラにしようとしているのだ。
 さて、「Divided」が「United」を切り裂き脅かしている今、私が「unite」という英語を知るようになったのはいつだったのだろう、と記憶をたどってみた。
合衆国を「The United States」と称するのを、中学生の時に知っていたかもしれないし知らなかったかもしれない。だが、はっきりしているのは中学の時に観たチャップリンの映画「独裁者」の中で彼が「...........unite!」と叫んでいた記憶だ。

当時その言葉を十分に理解することはできなかった。だから意味としてではなく音として耳に残っている。
トメニア国の独裁者ヒンケルユダヤ人絶滅と世界征服を企んでいるとき(風船でできた地球儀と戯れている有名なシーンがある)、そのユダヤ人ゲットーにはヒンケルとうり二つの床屋が住んでいた。彼は突撃隊に抗い収容所に送られるが脱走する。その時総統と間違われ、壇上から世界に向かって演説する羽目に陥った。
最初はおずおずと語り出す。「申し訳ないが、私は皇帝にはなりたくない。支配もしたくない。できれば皆を援助したい、ユダヤ人もキリスト教徒も、黒人も白人も。人類は互いに助け合うべきだ。他人の幸せを願い、互いに憎しみ合ってはいけない。」 だんだん熱を帯びてくる。「世界には全人類を養える富がある。人生は自由で楽しいはずなのに、貪欲が人類を毒し憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。機械は貧富の差を作り、知識を得て人類は懐疑的になっている。
思想だけがあって感情がなく人間性が失われている。知識より思いやりが必要だ。思いやりがないと暴力だけが残ることになる。」 と説き来たり、最後に「Soldiers, in the name of democracy, let us all unite! 」と叫ぶのだった。

映画「独裁者」は1940年公開(米国。日本は1960年)だが、38年頃から構想が練られたと言われている。1938年と言えばオーストリア併合と反ユダヤ主義暴動「水晶の夜」で、ナチスの世界征服とユダヤ人迫害絶滅計画が転換を画した年だ。 こうしてナチズムを非難するとき、彼はしかし、決して離れた異国のことを憂えているのではなかった。
米国内での黒人系市民に対するリンチ殺人は年ごとに増え、リンチに対して抗議し、黒人を自由な人間として誠実に威厳を持って扱うべきとする映画作品も出てきた。反ユダヤ主義、宗教的不寛容を曝露し批判する映画も増えてくる。
アメリカにおける少数派、メキシコ系市民を誇り高く描いた映画も登場した。ドイツ経済の復興を通じて自身の利益を計るだけでなく、進んで「第三帝国」を金融面、産業面で支えることになった企業は数知れない。ナチズムとの親和性を隠そうともしない企業家は多くいた。ヘンリー・フォード反ユダヤ主義の記事を集めた「国際ユダヤ人」を刊行し、のちのナチス党指導者に広く読まれた。
チェースマンハッタン、モルガン、ユニオン銀行、スタンダードオイル、GM、デュポン、IT&T、コダックコカ・コーラ、フォード、などなど。 ドイツ・フォードはユダヤ人皆殺しに使われた悪名高いチクロンBを供給した。GMが系列下に入れたオペルはドイツの中距離爆撃機用のエンジンを供給、世界初のジェット戦闘機メッサーシュミットME-262の開発にも協力した。IBMの傘下企業の提供したパンチカード機のおかげで、ドイツ政府は1930年の国勢調査を集計し、その結果としてユダヤ人を特定できたと言われている。この企業の計数機はデータ統合の飛躍的進歩をなしとげ、企業がナチス支配下に入ったときアウシュビッツへの列車を時間通り運行させるのに役立ったこともわかっている。数え上げればきりがない。まったく胸苦しくなってくる。IBMのワトソンはナチス政府からドイツ鷲大十字勲章を受章している。1938年オーストリア併合の直後、ヘンリー・フォードも同じ勲章を授与されている。
 「モダンタイムス」(1936年)で機械制工場制度を、「独裁者」(1940年)で戦争そのものを、「殺人狂時代」(1942年)では体制を告発したチャップリンは、「ライムライト」(1952年)では一転して内省的になっていくが、その時すでに合衆国を追われていた。
 私は中学時代に「映画の旅」を始めた。好奇心の塊だった少年は大人の目を気にすることなく映画館に通った。(殆ど洋画) 軍国主義日本では上映が許されなかった名作の数々、ハリウッドを席巻したレッドパージがほぼ終息に向かっていたが、それまで偽名や代筆で糊口をしのいでいた名脚本家の珠玉の作品群、、これらが一斉に私が当時住んでいた地方小都市にも届けられたのだった。
 中学から高校時代、さらに大学・成人にかけて観た映画は数百本にのぼる。これらの記録はない。だが記憶はある。記憶は日々薄れていくし、この数年速度を増している。そこで少し整理して残そうと思った。特に注釈をつけた映画以外は全部観ている。記憶を確かめるためにDVDを手に入れたものも一部ある。
 しばらくお付き合いください。    (続く)



◆今月の隆眼−古磯隆生
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− 紅葉/ぶらっとICU −

11月の半ば過ぎ、用事でしばらく東京に滞在することになり、その合間を縫って三鷹市にあるICU(国際基督教大学)の紅葉を求めてキャンパス内散策をしました。今回が何回目になるのかは忘れましたが、このキャンパスにはいろいろ思い出があります。
初めてこのキャンパスに行ったのは、大学受験で浪人していた頃です。今から50年以上前のことです。緑が多くて素晴らしいキャンパスだと聞いていましたので、一度行ってみたいと考えてました。三鷹駅からバスで大学構内まで行き、下車後しばし散策したのち散策路から離れて樹林に入り、そこに寝転がって春の陽を浴びてたのを覚えています。青春の揺れ動く心にあてがった束の間の“癒しの時間”です。
その次は、構内の礼拝堂での結婚の立会人として行きました。20代後半だったでしょうか。結婚する知り合いは歳下ではありましたが、そんなに離れてるわけではありませんでしたから、友達感覚で引き受けたのだと思います。特に何かをした記憶はありませんが、キャンパスの素晴らしさは記憶にあります。
その後暫くは行くことはありませんでしたが、今から18年程前、三鷹市での「三鷹市民プラン21会議」という三鷹市の基本構想策定に市民からの視点で提言する活動に2年間参加し、その活動の延長で「まちの風」というグループを作って、三鷹市にある景観での“いいとこ”探しをした時にICUを訪れました。そこで、このキャンパスの紅葉に初めて出会ったわけです。東京でこんな素晴らしい紅葉を観ることが出来るのだと知り、以降、機会のあるごとに紅葉シーズンには訪れることにしました。

この広大なキャンパスは広さが62万平方メートルあるそうで、校舎や研究施設の周辺に学生寮や教職員住宅が樹間に点在しています。何しろ自然豊かな素晴らしいキャンパスです。
緑豊かなこのキャンパスには様々な種類の樹木があります。樹木は私の絵の大切なモチーフですが、ここに来れば様々な樹木の形を目にすることが出来、とてもありがたい場所です。ヒントを得たくなった時は紅葉に限らず訪れることにしています。自然は思いも寄らないような形を作り出します。

今回は訪れたのが11月の半ば過ぎということもあり、紅葉シーズンとしてはピークを過ぎていましたが、それでも目を楽しませてくれるには充分でした。
(写真添付)
いつもは散策コースが大体決まっているのですが、今回はいままで歩いたことのなかったコースを歩きました。特別な発見はありませんでしたが、心を充分に癒してくれる空間です。人影も少なく、静寂が支配していました。ベンチに座って、持参したおにぎりを頬張り、しばし紅葉に見とれていました。


◆今月の山中事情140回−榎本久・宇ぜん亭主

−競合−

今から五十年前、私は西武鉄道系列の静岡県三島市に本社のある伊豆箱根鉄道に、金のたまごとして入社した。入社日から一週間、われわれは会社の事業内容を知るため各事業所に引率され、社会人(社員)になるが為の研修が行われた。それまで定時制の学生だったゆえ半社会人でもあったが、東北でのんびりとしていたそれとは違い、これが社会の最前線で働くというものを目の当たりにした。会社の人事担当の方は他社との比較をよくした。本業の鉄道部門のほか、観光部門、運送部門があり、それがことごとくライバル会社と競合するため、その仕事は熾烈を極めていた。特に箱根の観光事業に於いては東急とのシェア争いで、俗に「箱根戦争」とも言われるほどだった。
何ひとつそのような社会の仕組みなど知らぬ少年、少女の我々は初めて世の中の厳しい断面を見せつけられた。新人の我々以外この会社の社員は日々その状況の中で仕事をしている。だが、我々はまるで観光客のようであった。
人事の担当者は、ことあるごとに『箱根戦争』を口にし、会社の優位性を伝えるのだが、その理解は即座に出来るものではなく、その後各事業所に配属後、上司、先輩を通して徐々に知ることとなった。
西武、東急のの競争はその後も競合する事業展開が全国で繰り広げられているのは多くの方がご存知と思うが、昔のそれはかなり露骨に張り合っていたが、今は紳士然としているであろうかは知らない。
今西武は、私の住む秩父を盛り立てている。テレビコマーシャルも盛んに流し、アピールをしてくれているが、ここでは対抗相手となる東急はない。昔を知っている私としては東急が何かこの町に仕掛けてくれないものかと思っているが、その姿はない。西武自体も別に新しい事業を興しているわけでもなく、既存の神社仏閣と自然をアピールしてるのみだ。
かつては、野外音楽堂やプール、ショートコースのゴルフ場(閉鎖)、ゴーカート場などを直営していたミューズパークがあったが、そのすべてを市に譲渡し、今は電車を増発してお客を運んでいる。
何かのデータで知ったのだが、秩父には年間九百万人の観光客が訪れていると言う。私の方にはその恩恵はほとんどないのでそのデータをにわかには信じられない。滞在型の箱根と違い、日帰り型なのが秩父での観光なのかも知れない。
それなら合点がゆく。
伊豆箱根鉄道は図らずも入社数ヶ月で辞めてしまいました。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/



◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「戯」シリーズです。
  サイズはA4(29.7cm×21cm)です。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。