★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.143

秋真っ盛りと言ったところでしょうか。
今月の10日から一週間、生まれ故郷の山口県宇部市で初めての個展を開きます。
明早朝、白州を出発しますので、いつもの様に10日発信ができないので、早めの
発信となりました。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.143》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は岩倉 博さんです。
         岩倉さんの著作を紹介します。
         ・「異評 司馬遼太郎」 
           草の根出版会 (2000円+税)
         ・「ある哲学者の軌跡 古在由重と仲間たち」 
           花伝社 (4600円+税)
         ご希望の方は私(古磯)に連絡下さい。


古磯さんに原稿を頼まれて一回目は失念、二回目も早締切りが来た。これまで自分のペースで何事かを書き連ね、書物にしたものも2点あるが、依頼原稿などというものは希にしかなく苦手で、できれば避けたいのだ。
しかし今回は、ここ4、5年来の友人の依頼だけに断るわけにもいかず、引き受けたのはいいが、やはり迷惑をかけてしまった。依頼された時は、安倍−抵抗−『土曜日』−伊賀賢蔵−行動展−古磯さん…などと、連想ゲームの様に安易に考えたのが「運の尽き」であった。大した知恵もないのに、引き受けた己にいまは嫌気がさしている。

閑話休題
永田町での安倍ちゃんのハシャギぶりは異常だ。秘密保護法、武器輸出、集団的自衛権容認、軍事費5兆円…。女性大臣たちの「活躍」でこのところトーンダウンにも見えるが、やはり「戦争への突進」は油断ならない。「杞憂だよ」と馬鹿にされるかも知れないが、臆病者の私は、先人たちの戦前の抵抗を思わざるを得ないのだ。
最後は息の根を止められたが、戦時中にも様々な抵抗があった。たとえば満州事変の2年前、長谷川如是閑は戯文「戦争絶滅受合法案」を発表した。
「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効果の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。
即ち以下の各項に該当する者を最下級の兵士として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実践に従わしむべし。
一、国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず。尤も男子たること
二、国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者
三、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官
四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議員。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。但し健康状態に就いては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし」(『我等』1929年4月号)

喝采を送りたくなるこの戯文にかかわらず、満州事変は起こり、軍部は跳梁し、言論は封殺され、ファシズムが世を蔽った。戦争を押し止めることはできなかったが、知識人たちのファシズムへの抵抗はそれから6、7年、弾圧されて壊滅する1938年初めまでは続いた。
東京でいえば唯物論研究会(唯研)の会員、京都でいえば『世界文化』『土曜日』の同人たちがそうである。殆どの文化運動が弾圧されるなか、戸坂潤、岡邦雄などを中心に唯物論の学問的研究をめざして唯研が32年に結成され、反ファシズムに共感する人々の最後の合法的砦となった。京都ではその唯研会員を含めた同人たちが、35年から『世界文化』を刊行し、スペインやフランスの人民戦線運動などを紹介することで、戦争に突き進む時代に抵抗した。しかし『世界文化』の読者はせいぜい五百人どまり。同人の提案で、フランス人民戦線の週刊新聞『ヴァンドルディ』(金曜日)にならって、月2回刊のタブロイド六頁建ての新聞『土曜日』を刊行した。36年7月のことで、その創刊号の一面に、「行動美術」を戦後主宰した伊賀賢蔵の木版画が置かれていた。その画の上部には小さく「生活に対する勇気」「精神の明晰」「隔てなき友愛」の三つの標語が置かれ、その下にゴシック大文字で「土曜日」、やや小さく「憩ひと想ひの午後」と副題が印字され、画の下には「花は鉄路の盛り土の上にも咲く」と題した巻頭言が配されていた。『土曜日』の一つの売りとなった巻頭言は、中井正一と能勢克男が交替で担当し、本文執筆には『世界文化』の新村猛や禰津正志、武谷三男や谷口善太郎が協力した。

『土曜日』は当時の喫茶店のハシリ「新興喫茶」にも置かれ、出入りするサラリーマンや庶民の評判を呼び、全国から郵便での注文も増え、当初の三千部がたちまち七千部になった。しかし取締当局には、インテリ向けの五、六百の『世界文化』より、『土曜日』のような大衆週刊紙の方がより「危険」であり、警戒を怠ることはなかった。それでなくとも京都という町は、政治や産業ではなく文化・学芸を中心にした都市だけに、自由主義的な雰囲気が根付いている。
京都帝大、同志社大、府立医大龍谷大、大谷大、三高…、当局には、それらすべてが左翼分子を排出する土壌、共産主義者の温床・培養地のように見えていたのだ。
それから1年半『世界文化』も『土曜日』も発行を維持してきたが、その間特高警察は拡充され、日中戦争が勃発し、国民精神総動員要綱が決定されて、とうとう37年11月8日『世界文化』事件が起きた。その日の早朝、中井正一、新村猛らが自宅からまっすぐに五条署に連行され、『世界文化』は第三四号、『土曜日』は三三号(通巻三四号)で発行が途切れた。唯物論研究会もその煽りを受けて、翌年2月解散となった。東京、京都、いや全国でのファシズムへの抵抗は、完全に止んだ。

大分冗長になった。安倍−抵抗−『土曜日』−伊賀賢蔵−行動展−古磯…という連想に、やはり無理があったようだ。『土曜日』・伊賀・行動展・古磯さん、そうした多様な人々と力をあわせ、安倍ちゃんに抵抗する運動、おおげさに言えば「反ファシズム陣営」の構築がそろそろ必要かな、というのが今の私の思いなのだ。でもこの原稿、やはり引き受けなければ良かったかなぁー。


◆今月の隆眼−古磯隆生
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−移住生活・その22−

紅葉の時期です。我が家の裏にある大きなユリの木は一足早く黄葉し始め、“黄の舞い”を楽しませてくれました。その黄葉も既に散ってしまい、落ち葉は乾かしてからストーブの火付けに利用します。その灰は畑に撒きます。

さて、昨年の秋に続いて今年も日本名水百選に選ばれている尾白川の渓谷道を歩いて来ました。紅葉の中を彷徨です。真っ盛りは少し過ぎていましたが、それでも紅葉彷徨は充分に楽しめました。秋の天気にも恵まれ、朝9時にテニス仲間男女7名が合流し、コース入り口にある竹宇駒ヶ岳神社で安全を祈願してコースに入りました。何しろ毎年滑落死の出るコースですから。気温は幸いさほど寒くはありません。昨秋は神蛇滝まで片道2時間のコースでしたが、今年はその奥の不動滝まで、片道3時間のコースに挑戦です。

渓谷清流の音につつまれた渓谷道を、熊避けの鈴の心地よい音を耳にしながらゆっくり進みます。登山と同じようだと言われるこの渓谷道トレッキングはアップダウンの激しい、危険な箇所も多いコースでなかなかハードです。今年2月の暴雪による影響がルートの彼処に見られます。歩き出してから程なく「千ヶ淵」のエメラルドグリーンが目に染みこみました(写真貼付)。昨年よりも一層鮮やかに感じられ、感覚が刺激されます!
「旭滝」、「百合ヶ淵」、で休憩しながら秋を楽しみます。真っ二つに割れた巨岩も見受けられます。休憩先では“落水”の光景についつい目が捕らわれてしまいます。今年5月の川俣川渓谷トレッキングで「吐竜の滝」に見入って以来、滝の落水が面白くなりました。絵の題材になります。

昨秋の初めてのトレッキングの時は、程良い緊張感と初めて目にする光景に心躍りました。今回のこのコースは三度目ということもあり、多少余裕を持っての彷徨です。
空気がいい!清流の音がいい!紅葉した樹木の様々な色彩がいい!足裏に感じる岩や土のの感触がいい!
木の根っこが作りだした自然の階段をよじ登ります。時に緊張し、時にホッと景色を眺める。五感を限りなく刺激するこのトレッキング。
「神蛇滝」まで2時間程。三段の滝が一行の疲れを癒してくれました(写真貼付)。

ここで少し長めの休憩をとって、さあ、「不動滝」へ。私にとっては初めてのコースです。出発点とは紅葉の具合も変わってきました。楓やナナカマド類が比較的少なく、“紅葉”と言うよりも“黄葉”と表現した方が良いかも知れません。陽を受けて黄葉が実に美しい。一時間程して「不動滝」に到着。鋭く切り立った巨岩の間から蕩々と流れ落ちる「不動滝」の落水に、葛飾北斎の「諸国瀧巡り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」絵図が思い浮かびます。
丁度12時、ここで待望の昼食。おむすびが美味しい!しばし“落水”に見入ります。

さあ、帰りは山道を通っての下山です。膝に多少の痛みを感じながらの下山になりましたが、春を想わせる萌黄色の葉が陽に透けて何とも美しく、癒してくれます。途中で二頭のカモシカに出会いました。ほんの数十メートル先に居て、こちらを見ています。珍しい出来事でした。
復路は往路の半分の時間で、出発から丁度5時間。いやー疲れた!
でもとても心地よい疲れ。今年も秋を彷徨!!



◆今月の山中事情103回−榎本久・宇ぜん亭主

−国家に背く議員−

いやしくも公務にある者は正しくあらねばならぬ。依ってそれに反することは、些細であっても処罰の対象となり、逃れることは出来なくなっている。基よりそれは「公」に対してのみにあらず、「私」とてそれに値し、同罪である。
世の中とは、まさしくそのことにて形成されており、秩序を保つ唯一の法なのだ。しかしながら昨今の政治にある者の乱雑、乱脈ぶりは目に余る。まるで、率先して行うごときで、叩けばホコリの出る輩ばかりだ。それも与、野党問わずだ。
大臣なるものを与うるに、何やら「身体検査」なることを行っているというが、そもそも、それがあることが疎ましい。そのようなことをせずとも適材、適所に配置すべきなのだが、それでも診断を誤って「健康」そのものと判を押し、後日ホコリが指摘されてしまう。
「私」の世界なら、一切の言い訳は聞かれず即刻処分されるが、「政治」なるところは特有の理屈で言い逃れ、自分達で作った法律のふところに逃げ込み、処分を受けるまで頭を下げることはしない。百歩ゆずって、記載ミスが正しければそれを堂々と述べればよいことなのだが、ボロが出るから一切口をつむぐ。
「悪」と認めることは痛恨の極みなのか身の潔白のみをのたまう。そしてもっと不思議なのは、私ごとき小店でも提出せねばならない書類は、不備はないかと何度も点検するものだが、あの方々はあえて意図的なのか分からねど、ずいぶんと脇が甘いものだなあと思うのだ。その奥にはもっと大きなものがあるのではと妙に勘ぐりたくなってしまう。範を示すべき者がこうしていつの時代も世の中を惑わし、反り返っている姿を見せつけられていることが悲しいので。
いつの間にやら「末は博士か大臣か」を聞かれなくなった。博士の方は健全ゆえ尊敬されているが、政治家とそれに連なる大臣は尊敬されないのか称賛の声はない。それらをもてはやすのは、おそらくそれらを担ぎ上げている者のみで、それらも利益誘導員として同罪だ。
未だ政治は三等国以下の態では、先進国とのたまうのは恥ずかしい。無論すべての政治家に当てはめて言っているのではなく、個々人の中には懸命に政治の成すことに日夜努力されている方が居ることは招致している。不届き千万の議員がいることによって同一視されてしまうことは気の毒に思う。
「大山」は「鳴動」せず、若いメス鼠とずる賢い若くないメス鼠が逃げただけで、どうやら安部政権はしのいだようだ。
政治は機能せねばならない。あえて冒頭に述べたことは、それを忠実に履行することの出来る人の出現をもしかしたらとの思いで待っている。


宇ぜんホームページ
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