★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.169

明けましておめでとうございます。
“Ryuの目”を本年もよろしくお願いします。
白州では暖かく穏やかに新年を迎えることが出来ました。(写真貼付)

この穏やかな天候のような一年であればと願いますが、さて、早々にアメリカが変わりそうです。世界に不安定要因が拡がることが懸念されます。

○福島の友人より

今年は事故から7年目となりますが、復興は進んでいるのでしょうか。
被災地の南相馬市双葉郡など12市町村では昨年に3市村で一部を含め避難解除となり、今年解除予定の町村があり、来年以降という町もあります。そして、県内外に8万人余りが避難生活をしている状況で、帰還と定住ということを考えると復興はまだまだといえます。
また、放射能に汚染された土壌の保管する仮置き場は用地のあるところは出来て搬入されていますが、市街地の用地の無い所は自宅保管が続いており設置が見通せません。中間貯蔵施設にいたっては本体工事が始まっていますが先行きは不透明です。第一原発廃炉は計画から進んでいません。その他、県全体として風評被害がまだまだ無くなっていないことが大きな問題と思います。
昨年12月からの事故に関わる事項をお知らせします。
1 東電の事故対応費用と支援(除染・廃炉・賠償費用)
 その内訳は、
          想定       試 算       新しい試算
                 (28.11.28発表)  (28.12.20決定)
賠    償   5.4兆円   8兆円        7.9兆円
廃    炉  2       数兆円の上振れ    8兆円
除    染   2.5      5兆円程度      4兆円
中間貯蔵施設   1.1      変更せず       1.6兆円
    計    11兆円     20兆円超     21.5兆円

3度目の救済策として21.5兆円というとてつもない金額が閣議決定されました。
そしてこれらは東電の負担を軽くして国民負担を増やすことになることになります。事故が起こることによるコストがいかに大きいか分かります。
廃炉にいたってはこれから先が長いためコストが増える可能性は大です。なお、この事故負担は国政の場でもっともっと議論してもらいたいものです。

2 原発作業員の甲状腺がんの労災認定
 事故の作業に当たった作業員が被爆した後に甲状腺がんになった東電社員に対して、厚労省は労災を認定しました。これで3人目となります。この作業員は今回の事故前から長期間作業に従事していたことも関連があると報道されています。今後も注視していかなければなりません。

3 津波で消息不明の7歳の少女の遺骨発見
 東日本大震災津波で消息が分からなかった大熊町の木村夕凪ちゃんの遺骨が町のがれきの中から12月9日に作業員が見つけ(一部)、DNA鑑定で夕凪ちゃんと判明しました。
5年9カ月ぶりに父のもとに帰りました。これほど長くかかったのは、大熊町の発見場所は東電の爆発事故後全域が避難区域になっており、立ち入りできなかったことです。事故がなければ遺体の早期発見につながっていたかもしれません。夕凪ちゃんのお父さんは避難先の長野県から定期的に通い捜索を続けていました。このような事例がまだあると思うと事故の恐ろしさが再認識され、事故の検証をしっかりしやってもらいたいものです。このような事例はまだまだあると思われます。

4 広野町の病院長宅の火災
 高野病院院長高野英男さんが12月30日に起きた火災により焼死しました。
高野英男院長は、原発事故で住民が避難しても病院にとどまり医療を継続し、双葉郡内で唯一診察を続けていました。81才という高齢にもかかわらず、ましてや公的機関からの支援の無い状況での診察を行ってきた尊敬すべき立派なお医者さんでした。現在は町、県からこの病院を継続するための支援を行うことが決まっています。


では《Ryuの目・Ⅱ−no.169》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は池田勝彦さんです。

−科学技術の進歩は人類を幸せにするのか−

年始を迎え、寄稿にあたって漠然とこの世界の行く末を考えてみた。
古くて新しい話題で恐縮です。自分は現在、社内コミュニケーションのコンサル会社に勤め、企業向けビデオを製作しています。コミュニケーションのあり方の今後を考えたときに、昨年一層強く感じたことは、人工知能AIとロボット、バーチャルリアリティVRはこの先避けて通れないということです。
自動化の流れの中で、仕事を失う人が増えています。自分の身の回りを見ても、すでに失職が進行している。昨年、駅前のスーパー西友にセルフサービスのレジが導入された。
「えっ、自分でやるの?」
10台ほどの自動支払い機が置かれ、一人の係員が質問やヘルプに応対している。2006年当時、まだニューヨークで暮らしている頃にチラホラと見られるようになったセルフ・レジが、ついに日本で自分の身の回りにも入ってきた。
レジの列に並ばなくていいから便利でいいのか、あるいは人と相対さない方が気楽なのか。
しかし、私がその光景を目の前にした時に感じたのは、その結果、いったい何人が機械に取って代わられるのだろうか、ということだった。
その後すぐに、別のスーパーのマルエツでも、スキャンだけレジ係がやって、支払いはABどちらかの機械で自分でお願いします、というシステムが導入された。思えばこれまでにも、工場オートメーションや銀行のATMが定着してきた経緯があったが、機械が人の仕事を奪う流れは、コスト削減を目指す資本主義とグローバル化のうねりの中で、もはや避けられないのであろう。

現在、科学技術の進歩という名で人工知能AIが猛烈な勢いで発達してきている。その結果、従来のブルーカラーや単純作業従事者の仕事だけでなく、機械が人に取って代わる傾向は知識労働者ホワイトカラーにも波及している。昨年、IBMが開発したAIワトソンが、秘かにジョージア工科大学大学院の助手TAの「ジル・ワトソン」として学生の質問にメールで応答することを始めたところ、誰も気づかなかったことが明らかになった。また、市場の動きを速報したり、天気予報の記事を書いて配信する自動記事生成サービスが始まった。もはや記者の仕事も一部機械に置き換わる時代になった。AIは、企業の問い合わせやカスタマーサポートの担当も代替し始めている。さらにWEBサイトの情報分析からオートマーケティングという手法が一般サービス化してきて、営業職に取って代わる動きが始まっている。
日本のホワイトカラーの生産性の低さは、これまでにも散々指摘されてきた問題だ。仕事を機械に奪われる形で生産性が改善するというのは、なんとも皮肉な結果だと言わざるを得ない。

一方、映像表現の世界ではバーチャルリアリティVRが目覚しい進歩を遂げ、ビジネスのあり方を変えようとしている。VRは実体験を超えることはないまでも、確実に現実を代替する便利な手段としてビジネスの世界ではサービス化に動いている。
ビジネス界に必ず来るVR時代。手軽でいいと消費者に受け入れられていくのであろうか。今はまだ物珍しさが先行しているように思うが、ビジネスにとってVRが安上がりになった時が恐ろしい。際限のない欲を持つ人間は、VRに何を求めていくのであろうか。全てをVRで自己完結してしまおうとする人間の生活はどんなものになるのか。その結果、現実の人間の仕事は奪われていくのであろうか。
コミュニケーションはどうなってしまうのか。

20世紀は科学技術の時代と言われた。科学技術は、果たして人類に幸せをもたらしたであろうか。真面目に働けば、家族一家が幸せに暮らせる世界はもはや望めないのであろうか。ブルーカラーもホワイトカラーも仕事を奪われ、すでにヨーロッパの若者の失業は社会を揺るがそうとしている。移民排斥、EU離脱、こうした内向きの志向はアメリカでもトランプ大統領誕生という形で現れ、不寛容な世界になっている。日本も例外ではいられないだろう。

当面は、AIやVRができない、人間的な面を生業とすることで生き延びることはできるかもしれない。例えば感性が価値を持つクリエイティブな仕事。しかし、これも危うい。すでにビジネスの制作の世界は価格破壊が始まっている。

年の始めに想う。変化のスピードが日々、速まっていることを実感する世の中。若い人は大変だろう。こんな世界に誰がしたと、若い世代から我々世代が恨まれることもあるだろう。しかし若い人には希望を持ってもらいたい。いつの時代も大変だった。精一杯生きることで、若い世代が世の中を変えてきた。変化の激しい世の中は、変わらないことのほうがリスクになる。失われる仕事もあれば、新たに必要とされる仕事も生まれる。柔軟に、そしてしたたかに、頑張れ。



◆今月の隆眼−古磯隆生
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−クリスマス プレゼント−

昨年のクリスマスでの話です。
12月25日の早朝6時、私の携帯に1通のショートメールが入って来ました。見ると“Koiso−san ? Is this your Kei tai denwa ? −Tim yori”と書かれていました。私はとりあえず“Koiso desu. This is my Keitai denwa”と返しました。Timと言う名前は勿論知っていますが、私の知ってるTimさんからのメールかどうか確証出来ません。多分そうだろうなとの感触でしたが、昨今の様々なトラブルを耳にしていましたし、パソコンでのメールのやり取りは年に一度位はしていましたが、携帯は知りませんでしたので当然警戒しました。それに、このショートメールは如何にも唐突でしたから。
あのショートメールは何だったのかな?・・・それから数時間後、私の携帯に未登録の番号からのコールがありました。さて誰からだろうかと訝しく思いましたが、とりあえず電話を受けると、「コイソ サン? ティム デス」・・・声は何となく覚えていましたので、すぐにあのティムさんだとわかりました。
聞けば、奥さんのお父さんが亡くなったのでお葬式に出る為に日本に来たとのことでした。

ティムさん一家とは、今から20年ほど前、私が三鷹市の井の頭に住んでいた頃のお隣で、親しく付き合いをしていました。その当時彼はコンピューター関連の仕事で日本に来ていました。奥さんは日本人、小学生の女の子と弟の4人家族でした。私の子供達とも年齢が近く、よく一緒に遊んでいました。
我が家での毎年秋のカレーパーティーにも顔を出してくれていました。17、8年程前にアメリカに帰って行きましたが、今から4,5年ほど前、駒場東大構内での花見(Ryuの目の「山中事情」の榎本久・宇ぜん亭主主催の花見)の場で、たまたま日本に帰って来ていた奥さんと娘さんにそこでばったり出会いました。
お互いに予想もしなかった出会いだったのでビックリし、感激したのですが、ティムさんとはずーっと会うことはありませんでした。
そんな彼からの電話はとても懐かしく、彼から是非会いたいとの申し入れがありましたが、私は2週間の入院から退院したばかりで東京へ出かけることは出来ません。そこで山梨に来ませんか?と誘いました。奥さん達と相談しますとのことで電話を切りました。30分後、奥さんから電話があり、思ってたよりも短い時間で行けそうなので、井の頭公園辺りをブラブラしてから3時頃を目安に行くとの返答でした。
いやー、思いもしなかった来訪に私のみならず家内も興奮気味でした。3年ほど前、三女がニューヨークに行った折、しばらくお宅に滞在させてもらっていましたが、三女の愛猫の突然の死でその後の予定を急遽キャンセルして日本に帰って以降、しばらく音信が途絶えていましたので、久し振りの再会にこころワクワクでした。予定の時間に三女が甲府駅まで迎えに行き、4人を連れて我が家に帰って来ました。
みんな満面笑顔です。固い握手!部屋に入るなり次々に会話が進みます。
ひと時も無駄には出来ないといった感じで、水の入ったグラスを手に話が弾みます。
ビールと日本酒を用意していたのですが、彼は昨年手術をして以降アルコールはダメとのこと。私もしばらくはアルコールが禁止されてるのでもっぱらみんなお茶や水。夕食時も話が途切れることはありません。小さかった女の子と弟は既に20代後半の大人、娘さんは間もなく結婚するとのことでした。家内の作った地元野菜の料理を弟はとても気に入ったらしく、いささか遠慮気味でしたが、最後までおいしいと頬張っていました。日本語と英語の入混じった会話は尽きることなく5時間に及び、その日の内に東京に戻らねばならないと言うことで、全員揃っての記念写真を撮り終え、夜遅く家内と三女の三人で韮崎駅まで送っていきました。改札口でみんなそれぞれに思いを込めてハグをし、いつか又会えることを願って別れました。
思いもしなかった来訪、再会は素晴らしいクリスマス・プレゼントとなり、言うに言われぬ感動がこころを満たしてくれた時間で、深夜まで余韻に浸っていました。
とても素敵なクリスマス・ナイトでした。



◆今月の山中事情129回−榎本久・宇ぜん亭主

−七〇才の新年−

新年おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
人生五〇年と教わった世代としては、本年二月をもって七〇才になる私は、それをすでに二〇年もオーバーしていることをどう捉えればよいのかと迷っている。約十年前は命を落としかけた病気をしているだけに、本年をずうずうしく迎えることを不思議に思っている。それもさることながら、七〇才の実感というものはさらさらなく、青二才の気分のままでいる。要するに大人になれずに今日まで来た。老人のカテゴリーに居ながら、そうでないと言い張っているようだが、その老人を前期と後期に分けている。それは国家の思惑が作り出した制度だが、意図することが明確でない。老人として線引きをしたのなら、素直に全員をそう扱えば良いではないかと単純に私は思う。
九〇才の老ラガーマンがいる。スローモーションのごとくスクラムを組む。タッチダウンだってする。スピードはないがトスを渡し、「まだまだ八〇才の若造には負けられない」と意気軒昂だ。となれば、七〇才の私はさしずめ少年扱いだろうかと思ってします。
世には、想像を越える人がこのようにいる。前段に青年のごときにいると私のことを書いたが、肉体は全く老体だ。九〇才のラガーマンより勝っているものなど何ひとつないし、対抗するつもりは少しも起こらない。
若い時は山登りをしていた。十年前迄はゴルフもしていたが、今はわずかの坂道さえ息たえだえを呈してしまう。実になさけないと思うが、出来ないことはやる必要がないと腹をくくっている。
私の七〇代は包丁を持ち続けられれば御の字と思っている。
幼い老人であるが故に!


宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「戯」です。
  サイズは25.7cm×36.4cmです。
  (パステル+アクリル絵の具)

 先日、絵馬を描きました。合わせてご覧下さい
  
 お楽しみ下さい(写真貼付)。